「このままでは県は生き残れない」という憂慮の声が、都道府県関係者の間で近年急速に大きくなってきている。社会のありかたの急激な変化と分権化(それ自体が社会変化への対応の一つ)の結果、県がこれまで果たしてきた役割がかなり薄れつつあるからである。そして事実、多くの都道府県でさまざまな機構改革をめぐる模索も始まっている。もちろん都道府県の未来像に予め明快なシナリオがあるわけではない。この稿では、まず、これまでの県の位置、役割といったものを改めて振り返り、次にそのどこがどう変化しつつあるのかを確認し、最後に、その未来像のための論点を整理してみたい。
1. これまでの県の役割
もともと都道府県と市町村の役割分担は、そう明快なものではない。改正前の地方自治法は、第2条第6項で県の事務について「広域にわたるもの、統一的処理を必要とするもの、市町村に関する連絡調整に関するもの、一般の市町村が処理することが不適当であると認められる規模のもの」と述べているけれど、この条項が都道府県と市町村の間の事務のあり方を直接に規定しているわけではない。実際には個別の国の法律が1つ1つの事務について、都道府県または知事に属するのか、あるいは市町村または市町村長に属するのかを決めてきたから、そこでの役割分担はかなり複雑で、首尾一貫しないところがある。
ただ2つのことははっきりしている。
第一に、いま役割分担と述べたが、都道府県と市町村の間のそれは、国と地方公共団体一般の関係がそうであったように、いうまでもなく水平的なものではなく垂直的なものであった。知事は市町村長の執行する機関委任事務の指揮監督権をもっていた。そしてこれについての国の通達のみならず、市町村の執行する団体委任事務についての国からの通達等も県を通して市町村に通知されてきた。また市町村のさまざまな国庫補助金の申請から交付、事業完了にいたるまでの事務はほとんどが県を経由して行われたし、許可制度のもとにある市町村債の申請と枠配分等についても県が重要な役割を果たしてきた。まさに都道府県は国と市町村を結ぶ結節点、別の表現をすれば、市町村が国と接するために必ず通らねばならない「中二階」であった。先の「市町村に関する連絡調整に関するもの」の例示は「国と市町村との間の連絡」という文言から始まっているが、これはまさにこうした垂直的な関係を実態としていたといいうる。
他方で第二に、都道府県の事務事業が直接に住民と関わるという意味での水平的役割分担も必ずしもなくはなかった。たとえば都道府県一般行政関係職員のなかで農林水産と土木に関わる職員がかなりの数を占めているが(1999年度で総数31万2,000人中、それぞれ7万1,000人と6万7,000人で半数近くを占める)、これらは農林水産基盤や国道、県道、港湾、河川等の比較的大規模な土木型社会資本の建設と管理に関わる職員たちである。また県の保健所や福祉事務所も住民に対する直接のサービス・貨幣給付あるいは給付決定に関わる役割を担ってきた。とくに後者は一般に財政力の乏しい町村の肩代わりをしてきた側面がある(生活保護は当初は市町村の事務であったが、1951年から町村については県の福祉事務所がそれを引き受けるようになった。その後登場したさまざまな福祉関係措置事務の多くもそれにならったのである)。ただしこれらの事務も上の垂直構造と無縁ではなかった。道路、河川などの管理においてもかなりの機関委任事務があったし、保健所の事務の多くや生活保護及び措置事務は機関委任事務だったからである。
2. 枠組みの変化
しかしこうした都道府県の役割を支えてきた枠組みが急速に変わりつつある。
第一に、自治制度が都道府県、市町村の二層制から複層制へと変化しつつある。政令指定都市に続いて、近年、中核市が登場、さらに分権改革の結果、特別市も登場した。これらはいうまでもなく都道府県の事務・権限の一部を肩代わりするものである。また国や都道府県の権限の一部を肩代わりできる広域連合という新しい仕組みも登場したが、後述するように、これとの関係は都道府県の今後にとって極めて重要と思われる。
第二に、とくにサービス供給面で住民と直接に関わる都道府県の事務が、一般に市町村に移されつつある。老人福祉にかかる措置権が町村に移管されたことは決定的であった。以後さまざまな福祉サービス給付決定権限が市町村に移され、障害者福祉のそれを最後として、県福祉事務所に残されるのは生活保護事務だけとなる。また保健所においても、直接に住民と接するサービスの多くが市町村へと移った。都道府県職員が仕事を通して住民と直接に接する場面はかなり縮小したことになる。
第三に、地方分権一括法による分権化である。新地方自治法が都道府県と市町村の関係をどう変えたかをいうのはなかなか難しい。強いていえば、上に触れた都道府県の事務規定のうち「統一的処理を要するもの」が、「対等協力」の観点から削除されただけである。他方で新「法定受託事務」については市町村に対する県のさまざまな勧告等の関与が残される結果となった。しかし県のもついくつかの権限は市町村に移された。もっと重要なことは、国と地方公共団体は「対等協力」の関係というアジェンダが確立したことである。同じことが都道府県と市町村の関係にも当てはまるからである。前にも述べたが地方分権一括法で直ちに分権が実現するわけではない。新しく開かれた分権と自治の空間のなかで自治体が主体的にさまざまな実践を積み重ねていくことで、初めて分権化が進むと考えるべきである。しかしその結果、もし国と地方公共団体の垂直的な関係が次第に水平的なものに変わっていくとすれば、「中二階」としての都道府県の役割は決定的に失われることになろう。
第四に、住民と関わる都道府県のもう一つの役割である土木型社会資本整備であるが、都道府県の場合、市町村と比べて補助事業の比重が高く、とくに農林水産関係はほとんどが補助事業といってよい。そしてこの事業の都道府県内の地域配分がそれぞれの地域経済振興の重要な手段として機能してきた。しかし今後はこうした事業を従来の規模で維持するのが困難となろう。まず、すでに財政危機が自治体の建設事業能力を減少させている。次に、国の財政運営が「財政再建」に切り替われば、歳出削減の圧力の1つは補助負担金に向かっていこう。そして最後に、いまや政治のレベルですら浪費的環境破壊的な公共事業に対する批判が高まっているからである。
3. 都道府県の未来
かく住民サービスに直接関わる事務は市町村に移され、また中核市や特別市に事務・権限の一部を蚕食され、広域社会基盤整備もこれまでの規模を維持できなくなり、そして最後に垂直的構造のなかでの「中二階」たる地位を奪われていくとすれば、都道府県にはなにが残るだろうか。私見では、人材、弱体な市や町村からみれば今のところ豊かな財政力、そして「市町村を包括する広域の地方公共団体」としてのその位置である。そしてこの3つは、とくに小規模な市や町村一般にとって重要な役割をいまだ果たしうるといえる。
山形自治研全国集会の特別分科会「都道府県の未来像」のための準備作業として、自治労本部と自治労山形県本部は、山形県最上地区の市町村職員と数次にわたる研究会をもった。組合運動の枠内で、県職員と市町村職員が対等な立場で県についての意見を率直にぶつけ合った希な機会だったともいえる。このなかで市町村職員からみて望ましい県の役割についてさまざまな意見が出されたが、集約すると次の3つである。
第一、「情報センターたれ」。県は、国の行政施策や補助事業についての情報のみならず、県内の自治体の施策等についての情報を収集し総合的体系的に管理し、市町村が必要とする情報にいつでもアクセスできるような情報センターであるべきだ、というのである。縦割り行政の現状では、これはかなり困難なことのようである。
第二、「広域調整の担い手たれ」。後で登場する地方事務所の役割にかかわることであるが、県は少なくとも地方事務所管内の市町村の間の行政施策の調整にあたるべきである。市町村はみずからの力で広域調整はできないが、県の権威をもってすればそれが可能である、というのである。たとえばそれぞれの市町村が同一種の施設を作ったりしないように広域調整する、あるいは地域市町村が一体となった地域振興に取り組むように調整する、さらにあるいは学校統廃合なども市町村の域を超えた調整を行うというような調整である。現状では県と個々の市町村という関係はあっても、広域の市町村集団との関係あるいはシステムは必ずしもないようである。
第三、「法務政策能力をもて」。人数的に余裕のない町村と比べて県は人材的に余裕がある、条例等のモデル等を作成するのは、まさに県の得意とするところではないか、というのである。
これらはすべて先に挙げた3つと密接にかかわる役割である。
県の管轄する領域空間は結構広大で、歴史的由来をもち経済社会的なまとまりをもついくつかのブロック=地域からなり、それを単位として地方事務所等が置かれているのが通常である。山形県では、七つあるこの地方事務所を四つの総合支庁に統合する改革案を構想、次年度から実施に移すことになった。始めは単なる統廃合案であったが、組合側の粘り強い交渉の結果、一種の庁内分権化ともいうべき画期的な改革を伴うこととなった。これまでの地方事務所は、どこでもそうであるが、意思決定権限をほとんどもたない、本庁各部各課の発信を受けて事務事業を実施するたんなる出先機関であった。今回の山形県の改革は、簡単にいえば、この四つの総合支庁にかなりの意思決定権限を移し、かつそれぞれの地域に合った地域振興方策を策定し実施する責任と権限を負わせ、さらにそのための独自予算も用意するというものである。これは、地域をベースとしそれに密着した施策展開を図ろうとする県の生き残り作戦、もっと積極的にいえば地域を基盤とした県行政の活性化作戦といってよい。これはまさしく北川三重県知事のいう「事業実施官庁から政策立案官庁への脱皮」(『自治労通信』2000年6月号)の試み、しかも地域を基盤としたそれの試みである。
ただし課題は多い。たとえば、地域を知り市町村さらには住民と対等協力の関係で政策を立案実施するためには、いまのような3年ごとの人事異動ではなく、少なくとも10年はその総合支庁に勤務し、かつその地域に居住することが必要となる。また市町村や住民との協働作業を持続可能なものにするシステムのあり方も考えなければならない。そしてなんといっても、下から発想し、政策立案につなげていける人材、国からの発信を下に流すというこれまでの県庁マンとは異なる能力をもった人材の育成が不可欠の前提となる。
山形県では広域連合はまだないが、広域連合は県と地域=市町村の協働作業、パートナーシップのための1つの枠組み、上で述べた言葉を使えば、システムを提供する可能性をもっている。再び三重県知事の言を借りれば「それで、人事交流も大切だと思いますが、人事融合というんですか、市町村の職員と県の職員が一緒になる部分が出てきていると思うんです。それで問題解決していくのに、例えば1つの形が広域連合だと思っています。広域連合に県の職員も派遣するわけです」(同上)。
分権化という大変化に当面して、各県でさまざまな「脱皮」の模索がなされていくことだろう。その場合、県庁内の分権化・地域=市町村群とのパートナーシップ・地域に根ざした施策展開という山形県の試みが成功すれば、1つの未来像を示すことになるのは間違いない。