2 環境自治体の試みが新しい二ツ井町をつくる

  秋田県二ツ井町町長 丸 岡 一 直

 

1. 時代認識を持つことの重要性
 このことはおそらく、二ツ井を含む農山村地域が、大きく言えば戦後、産業化、高度成長、都市化という時代の流れにあわず衰退を続けたこと。しかし、その流れは経済的に、社会的に行き詰まり、その救いを農山村に求めざるを得なくなっていること。従って、農山村からみれば、ようやくにして時代の潮流と自分たちの生き方がかみ合い始めており、将来に希望が持てるようになりつつある ― といった時代認識のもとで、高度成長(すなわち会社に全身を捧げること)も都市化も、一面では選択の余地がない、敷かれたレールを走るしかなかったことだけれど、あれこれの原因と結果がやっと分かりはじめ、人々が生き方を「選択」できる、あるいはそうすべき時代になったこと。その結果、これまで「見放される」歩みをたどるだけだった農山村が、広く「選択」される可能性を持つようになり、われわれも「選択」される地域づくりをすることによって生き延びていける、そういう感覚がやっと出てきたと思います。

2. 市民が実感できる政策づくりであること
 二ツ井では、基本構想・基本計画をつくるための「まちづくり200人委員会」をつくりました。それまで、町においては町の基本政策を決める計画づくりに住民の参加を求めるということは形式的にもありませんでした。私自身、そのことに強く不満を抱いておりましたし、住民にとっても不幸なことだと考えました。選挙の際の公約も、住民参加で町の未来像をつくるということが一番でした。
 その実践が200人委員会です。町政に関心を持ち、発言、行動したいという人であればだれにでも門戸を開放し、議論を展開してもらう。行政当局は文字通り事務局に徹し、原案提示も行わず、自由な発想にゆだねる。求めに応じて資料を提供し、必要があれば視察の用意もする。それも自主的に行き先や目的を決めるというやり方でした。
 最終的には「まちづくり審議会」(いくつかあった審議会を整理し、一本化した。200人委員会のテーマごとの部会長、各界代表などで構成)に諮るのですが、そこに諮るプランは200人委員会の議論をもとにまとめ上げることにしました。
 参加者は、地域別の部会を入れて330人でした。参加者数や、議論百出の経過からいって、また、それまでそのような議論を町民同士でしたことがないという感想が多かったことなどから見て、200人委員会の試みはまずうまくいったといえるでしょう。何よりも、計画は住民のために策定されるものですし、だからこそ住民が計画づくりに参加し、その実践にも主体的に参画することがあるべき姿だと思うからです。
 それでも、構想・計画をまとめる段になって私たちは戸惑いました。なるほど多様な議論は出されたものの、それは実態からかけ離れていたり、脈絡のない個人的な願望であったり、趣旨はわかるにしても理想的にすぎたり、要するに、町の基本計画として盛り込むには躊躇せざるを得ないものが少なくない。部分に鋭い視線があたっても、全体の構成、流れには目がいっていない、ということもあったかと思います。
 しかし、それは無理もないことなのです。日々、自らの仕事に懸命で、ほかのことに割ける時間があまりにも少ない。まして、日常的に行政情報にふれることが少ない。従って、その時点で何が町にとっての問題であり、何が解決の方向なのか。全体像がよく見えていないとしても、それはやむを得ないことですよね。そうであればこそ、いかにして情報を流せばよいのか。その考察が重要ですし、行政職員はよりしっかりと問題を把握し、解決の方向を常に意識していなければならない、とも思えます。そうなると、住民参加とは何か。行政の仕事とは何か。改めてそのことを思わずにはいられません。
 この春、第2期200人委員会を呼びかけました。第1期とは対照的に、参加者は60人にとどまりました。人口1万3,000人弱ですから決して少ない数とは思いませんが、それにしてもなぜこれほど減ってしまったのか。正確にはよくわかりません。これまでの行政姿勢を評価し、任せておいても大丈夫と思ってくれたのか(その可能性は小さいでしょうが)、第1期の成果が期待に反したということなのか。また、事務局であるこちら側のリード、舞台設定に問題はなかったのか。
 いずれにしても、課題は残っています。あるいは、こうした経験を互いに積み上げていくしか解決の方法はないのかもしれません。「市民が実感できる政策」を作り上げて行くには、なお試行錯誤が続くでしょう。

3. 二ツ井の代表的な取り組み
 町は過疎、高齢化、若者の流出に悩んでいます。すべての政策は、その解決、改善、町の振興をめざすものであることが意識され、そのための実践でなければなりません。とはいえ、何か大型の企業を誘致し(それはとてつもなく困難なことですが)、大規模の雇用を達成すればそれで解決するかと言えば、必ずしもそうでない事例を私たちはたくさんみています。
 そこで私たちがめざしたのは、町にあるものを使って地域振興を図ろう。突然変異的にある日何かが変わるというのではなく、私たちがさまざまにこの町に持っている可能性を一つひとつ拾い上げ、本来持つべき光をあて、その総合でまちづくりを進めていこうという考えです。そしてたどり着いたのが「みどりのフロンティア」 ― すなわち、環境を基軸に据えたまちづくりです。
 その具体策は、だいたい、キーワードにあげたようなものです。そして、まちづくりの方向性と、社会全体の方向性はおおむね一致する方が望ましいと思いますが、これまではあまりにかけ離れていたのがようやく一致するようになった。そこに、大げさにいえば、戦後初めて(もっと大きくいえば明治維新以来初めてかもしれない)町の将来に曙光が見えてきた、と私は思うのです。
 けれども、あまりに厳しい状況が続いているため、多くの町民は「突然変異的な変化」、つまり、ある程度の企業誘致のような、即効薬を求めているように思います。それはそれでわからなくはありませんが、そうなると、行政として掲げるべき旗と、多くの町民の思いをどう調整すべきか。住民が実感できるようになるまで待てばいいのか。住民が望む方向だけを探っていけばいいのか。行政のリーダーシップを発揮して、走りながら理解を求めていけばいいのか。ここでも、「住民が実感できる政策」との兼ね合いが難しい。なかなか思案のしどころですね。

談(文責:自治研事務局)

 

「首長は地域をどこまで変えられるか」 隔月刊誌「かがり火」99・71号より転載