働 く こ と の 21 世 紀

財団法人 阿蘇地域振興デザインセンター 若井 康彦


1. 働くことの難しい時代

 働くことが難しい時代である。いうまでもなく、近年のリストラの嵐の中で、低賃金や長時間労働、不安定な身分保証等、これまでよりも働く条件が後退したり、仕事を失ったりする問題は深刻である。新卒の若者達もそのあおりを受けて、職につくことが難しくなっている。長期的には労働力の不足が予想されるにもかかわらず、今は、ただでさえ弱い立場の女性や高齢者が就労の場を見つけるのは難しい。
 ましてや、自分らしい仕事を見つけたり、人間らしくゆとりをもって働く場を得ることはさらに難しく、かつてのように「仕事を選ぶ」などという「贅沢」は許されそうにもないと言うのが現状であろう。

 

2. 働くことの基本について改めて考える必要

 ともかくもこうした状況に対してどう対処すべきか、知恵を集めて議論することが、本分科会に課された主要な課題である。そこから何らかの問題解決の糸口を見い出せれば有意義としたい。しかし、それだけでは不十分な気もする。このような時代だからこそ、働くこととは何かについて、改めて考えてみる必要があるのではないだろうか。
 働くということは、一人ひとりの人間が社会においてなし得る最も主体的な行為である。それを今日の「リストラ」ごときに翻弄されていていいものだろうか。リストラの背後には国際化、情報化、高齢化等、大きな時代の潮流がある。この時代に生きている以上、われわれ一人ひとりが引き受けて行かねばならない変化であるが、そのためには、今、落ち込みかけている状況を冷静に見極めると共に、もう少し長期的な観点から、働くことのありかたについて議論しておく必要があるのではないだろうか。
 わが国がさしかかりつつある基本的な課題は、いうまでもなく、国民の一人ひとりが自らの主体性に基づいて、あらゆる限り個性と自発性を発揮できるような働く環境を創ることである。そのためには、今、一人ひとりが自ら仕事を創ると言う視点に立ち返って改めて考えてみなければなるまい。

 

3. 個を尊重した多様な選択の模索

 今の今、そんなことにうつつを抜かしていては、世のリストラモンスターに乗じられてしまいかねないわけであるが、単に同じ土俵に上がっていても、かえってあるべき方向を見失い兼ねないだろう。
 服装に例えれば、かつてのように、お仕着せの制服ですませているような人はあまりいなくなった。一方、自分に合わせて仕立てさせたり、自分自身で誂えた服を着ている人もよほど少ない。大方は、既成の品を自ら選び、組み合わせて装う、と言うことだろう。その中で、とてもよく似合う、自分らしい装いをしている人達がいくらでもいるという時代である。
 働くことについても同じことが言えるだろう。景気が後退し、一時的に仕事が減ったからといって、もう一度、足りない制服の増産には戻れない。個を尊重した多様な選択の可能な状況をめざすしかあるまい。
 その意味で「雇用」と「労働」というタームはやや窮屈な枠のような気もするが、そのことにはこだわらずに、もう少し広い視野から、21世紀において改めて「働く」こと、「仕事を創る」こととは何か、どうあるべきかということについて考えてみたい。

 

4. 自ら考え、地域から取り組む

 さて、地方圏、特に農山漁村では、外からは伝統的な第一次産業を取り巻く状況の劇的変化により、また中では過疎化と高齢化の進行によって、以前から働く場は大いに狭まっている。相次ぐ減反に見られるようにリストラも着々と進められてきた。もともと組織的な雇用・労働の厚みのない地域であるから、バブル崩壊以前から働く「個」の問題に直面せねばならず、そのための様々な試行錯誤を経てきた。その中で、地域にこだわり、既存のストックを現代的に活かしながら、新たなしごとを生み出してきた個人もいれば、公共主導で始まった起業が地域の基幹的な産業として定着しつつあるような例も見られる。こうした例もまた、地域限定の特殊例としてではなく、これからの働くことのイメージを共に考えていく上で大いに参考になるだろう。働くということは、組織であるとなしとにかかわらず、畢竟、自ら考え、地域から取り組むべき課題であるからである。
 このことは、先進国となりつつある国の、いつかは通らなければならぬ道なのではなかろうか。今こそ、国として産業の未来を語るだけでなく、国民の一人ひとりが働くことの明日を真剣に考えるべき時がきたのである。