グループホームがあったらいいなと思った。私が最初に描いたグループホームのイメージは、何らかの事情で家族と住めないお年寄りやこども、障害者が一緒に住めるところがあったらいいと思った。質素な食事で良いから貧乏な人でも暮らせる、お金の介在しない、のほほんとした暮らしができたら最高だと願った。昔のお寺のようなイメージだ。だが、現実はそうはいかないことも重々分かる。わかってはいるけど、未だに諦めきれない夢なのだ。
2. いろいろな試みや失敗と共に
1994年、栃木県の単独事業である高齢者デイホーム「宅老所ひばり」を開設し、主に痴呆のあるお年寄のケアにあたってきた。その中で、いろいろな試みと失敗をしてきた。ここでは、グループホームに絡んでの2つの失敗を紹介したい。
ある時、障害を持った養護学校の小学生数人が、学校の長期休みに学童保育替わりに宅老所を利用したことがあった。もちろん、彼らのケアについては常時の宅老所のスタッフとは別に、保母資格者を1人補充した。しかし、障害児を前にお年寄の中には露骨に拒否反応を示し、暴言を吐く人もいた。
障害を持つ人たちが身近にいなかったお年寄りたちにとって、80歳を過ぎた今さら障害者との共生を説いても無理があった。つくづく街の中に障害者がいない社会をおかしいと思った。どうしても障害者を山奥の施設に隔離してしまうため、本当はたくさんいる障害者の数がそのまま社会の中に見えてこないのだろう。その後、その障害児たちは市内にできた重度障害者のデイケア施設で学童保育を開設し、そちらを利用することになった。
もう1つの試みは、日中通所型の宅老所・デイケアと泊って生活するグループホームケアを同じ場所で行ったこと。デイケアの利用者は夕方になると家族が迎えに来たり、スタッフが送りに行ったりと帰るところがあり、いそいそと1日を終えて帰っていかれる。だが、グループホームの利用者は帰れない。「私も送っていって」と訴えるその寂しさを推し測ると、デイケアとグループホームを同じ場所で行うのは非常に酷なものだという結論に達した。それでも、全国的には両方を一緒に行っているところが少なくない。外の空気が入って密室化しなくて良いという見地だ。
また、痴呆のお年寄だけを一ヵ所に集めたかたちのグループホームは彼らを隔離することになり、それは、ノーマライゼーションの見地から外れるという説もある。だが、現実的な日常の中では、非痴呆者の痴呆の方に対する差別的発言や繰り返される痴呆の方の話に逆にイライラさせられる。お年寄の中には障害を持った子供たちに優しく接する方もおられるし、虚弱なお年寄でも痴呆の方を嫌う方ばかりでもない。十人十色なのは当たり前なこと。ケアのあり方もいろいろあって当然で、これが一番と言うこともないのだろう。その人その人が自分に合ったところで暮らせるよう、たくさんの居場所の中から選べる環境づくりこそ大切なのだろうと思う。将来的にはぜひ、チャレンジしてみたい。
3. まずは介護保険に乗る
さて、グループホームヘの論議はあれど、今はひとまず、目の前の介護保険の痴呆対応型共同生活介護(グループホーム)事業に着手してみようと決めた。その中からまた問題点が出てくることは間違いない。現在でも既に問題点がある。それは、グループホーム利用者の適性だ。グループホーム利用者の最適ランクは、要介護度1、2程度。
グループホームケアの効用は、痴呆ではあるが食事づくりや洗濯・掃除などの日常生活の営みをスタッフと共に行うことができ、それによって痴呆の進行を遅らせたり、少人数のため個人の意向に沿った生活ができ、思い思いに暮らせることにある。しかし、それも時間の問題で歳が積もれば、身体的に衰えてくる。既に先発のスウェーデンでは、終末ケアまでグループホームで行っているという。しかし、利用者が終末期になると、グループホーム本来のケア効果がなくなってしまうだけでなく、最もグループホームケアの効果が現れやすい時期にあるお年寄が利用できなくなってしまう。
段階に合わせた効果的なケアによる棲み分けを考えたなら、厚生省基準のグループホームケアの次の段階で、ターミナル(終末期)ケア専門のナーシングホーム的なケアが必要となってくる。同時に、グループホームケア以前のお年寄にも精神的なケアを目的とした高齢者賃貸住宅やグループリビングが必要となり、こちらの方も根強い需要がある。
だが、ここではまず、1つのステップとしてグループホームから始めてみることにして、現実的な動きをご紹介したい。
4. 建物が見つかる
グループホーム専用の家探しを始めてから、早2年。ひばり会の会報による呼びかけや口コミで5、6軒の物件情報を得た。情報が入る度に、はやる心で大工さんと見に行った。しかし、日当たりが悪い、増築するにも敷地が狭い、団地の中で駐車場がない、屋根の改装に莫大な費用がかかる、等いずれも「帯に短し、タスキに長し」で断念せざるを得なかった。不動産業者にも「平屋で7部屋、駐車3台可、日当たり良好」などという家はなかなかないよと苦笑された。社会福祉法人がグループホームを建てるなら、国庫金から建設費4,000万円が助成されるのだが、ひばり会は清貧なNPO。NPOには助成金は出ないのだ。やっぱり貧乏人には無理なのかなあと意気も沈みかけた2000年1月、突然、運がバリバリ向いてきた。
それは、ある朝の今市市厚生福祉課長・大橋芳明氏からの1本の電話で始まった。「市会議員のSさんが大きな家を持っているそうだ。ひばりがグループホーム用の家を探していると言ったら、福祉のために使うならということだった。行ってみるといいよ」。受話器を置いた足ですぐS氏宅へ行き、その家を見せてもらった。築30年は優に超えているが、以前、下宿屋をしていた建物でしばらくは使っていない。日当たり良好、136坪の敷地に67坪の建物(1階6畳×5、12畳×1、15畳×1、4.5畳×1)(2階4.5畳×4、8畳×1)という願ってもない物件だった。
しかし、ここからが問題。とにかく改修費がかかりそう。急きょ大工・設備工事の見積もりを取ったところ、約510万円は最低でもかかることになった。さて、そのお金はどこから。市の課長をはじめ係長も担当部長も、ひばり会が以前から「うわ言」のように言い続けてきたグループホームの物件とあって、ここはひとつ何とかしようと、とても協力的に考えてくれた。
まず、県の単独事業で2000年度予算に既存施設を利用した福祉施設開設のための改修費として1件当たり500万円(県1/2、市1/2)、5件分を計上しているとの情報を得た。しかし、そこには「NPO法人が所有するもの、または賃借権を得たものでなければならない」という条件がしっかりついていた。「ひばり会は貧乏だからNPO法人しか取得できないのであって、不動産を所有できるくらいならとっくに社会福祉法人を取得しているわ」とまたもやいつもの無認可の厚い壁にがっくり。
しかし、そこで頑張ってくれたのが我が今市市の民生部厚生福祉課軍団。今市市には現在、県単独事業の宅老所が4ヵ所ある。ひばり会は第1号だったが、開所時には改修費はかからなかった。が、2ヵ所目の宅老所が開所する際には改修の必要があった。そこで、市は単独でデイ事業の開設時改修費として300万円の補助を出すことにした。「その事業費はデイに限る」という要綱を改正し、グループホームの改修費にも充てようと言ってくれた。しかし、まだ200万円が足りない。民間のどこかの助成団体に申請して何とかしようかとも考えた。あまりの条件の良さに、やはりここは何としてもものにしたい。とりあえず、その線でゆくしかないとの思いも強まった。
しかしちょうどその時、折も折り、またまた運が回ってきた。偶然にも地方紙の記者が県の新年度予算についての意見を聞きたいと取材に来たのだ。「NPO法人の介護保険参入が認められたのは嬉しいが、同時にハード整備に対する助成対象の基準も緩めてくれないと、動きたくても動けない。社会福祉法人だけが優遇されている。国庫事業ならまだしも、何のための県単事業なのか」と憤懣を訴えた。「県の担当課長にその辺の考えを聞いてみて欲しい」と付け加えた。数日後にその記者から電話があり、まだはっきりとは言えないが、県の課長は「県内には宅老所が多いので、その中からグループホームが起ちあがるだろう。有力なのは今市のひばりかな?」と。
それを聞いて、即市役所へ。「せっかく今年度の予算に入れてもらった300万円だがそれを撤回し、何とかもう一度県へ交渉して欲しい。来年度に半期ずれこんでも構わない。今市市が突破口を開いて前例を作ってくれれば、県内のNPO団体にとって大きな福音になる」と頼んだ。既に市単独の300万円でいこうと、市長への挨拶の場まで段取りをしてくれた大橋課長だが、私の申し出を快く受けてくれ、担当係長とその日のうちに県へ出向いてくれた。
「今市市として担保するから、ひばり会へ県単の改修費を」。そんな市の熱意に対し、県の課長は「確かに借家じゃだめだと言っていたら、いつになってもグループホームは増えていかないですからね」と応えてくれた。こうして建物の20年の賃貸契約を結べば、改修費の補助が出ることになった。この県の課長は、県単事業である宅老所(デイホーム)事業が目指す小規模ケアについて、兼ねてから理解を示してくれており、この2月に仙台で行われた、我々草の根の組織である全国デイホーム・グループホーム連絡会主催の研修会にもパネラー出演してくれた。今市市の市長も担当係長も以前、この研修会に参加し、事例発表してくれた経緯がある。そんな行政担当者の熱心な努力のおかげで、小さなNPO団体のひばり会も再度、高く飛べそうになってきた。
熱き想いだけで資産も何も持たない丸腰のNPO、市民の福祉活動を生かすも殺すも、行政マンの理解と熱意がこれほどまでにモノを言うのだ。県内の他のNPO団体も500万円の改修費を得られることが公表されれば、即第2、第3のグループホームが誕生するだろう。大家さんとは20年の賃貸契約を既に済ませた。契約の場に、市の課長・係長が立ち会ってくれた。今市市長も協力を約束してくれたが、正式には9月の市議会で補正予算が通ってはじめての公表となる。だから、本当はこの原稿はフライングなのだが。
市民が行政と共に車の両輪となって、住みやすい地域を作っていくことはとても楽しい。行政マンは、市民の方を向いて市民のことを一生懸命考え、いろいろな事業を企画立案したり、市民がはじめた公益事業に予算をつけたり、とてもやりがいのある面白い仕事だと思う。企業などのように数字に追われずに、「市民の幸せ」「公益」という使命達成に向かって働けるという点では、我らNPOと同じような醍醐味があるのではないかと思う。これからも、我らNPO団体は行政と適度な緊張関係を保ちながらも、さらなる協働体制に向けて頑張っていきたい。行政の皆さん、これからもよろしくね!
行政が一枚噛むだけで、このように市民活動は一気に進む。市民の一歩と行政の一歩、この歩みが社会を大きく変えていく。NPO(特定非営利活動)法人はその担い手として大きな核になってゆくことだろう。
自分たちの社会は、自分たちでつくるもの。人任せや行政任せにしない。地域での困りごとは、地域の中に解決策がある。問題が生じた時、その裏側には同時に解決策が隠れている。みんなで知恵と力を合わせていけば、必ず良い方向へと向かっていく。学校が荒れている、若者が荒れていると嘆く前に、私たち大人がじっくり今を考えること・未来を考えることが必要だ。肝心なのは、みんなで考える前に、まず自分1人で考えることだ。1人で考えられない人が100人集まっても、真の民主主義は生まれない。
マスコミにも惑わされず、自分の心で考える。それは、きっと自らの幼かった頃からの生活から、少しずつ辿っていくことなのではないかと思う。今、もう一度人と人が、組織と組織が、真の「連帯」をしていくこと、それには人間を信じて止まない思想性、挫折しても挫折しても立ち上がる粘り強さが要る。
「人は捨てたもんじゃない」「社会は捨てたもんじゃない」
これが私の常套句。
ここに結集されたすべての労働者諸君! 頑張りましょう!!