日本における真相究明とナショナリズムの関係
~「国立国会図書館法の一部を改正する法律案」をめぐって~

鹿児島大学非常勤講師 疋田 京子


はじめに

 真理がわれらを自由にするという確信にたって、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命とし ― (「国立国会図書館法」前文)。この崇高な理念によって設立された国立国会図書館に、日本が関与した戦争の真相を究明する「恒久平和調査局」を設置するという法案(「国立国会図書館の一部を改正する法律案」)が、99年8月10日、衆議院に提出された。法案は与野党の国会議員でつくる「恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟」(以下、「平和議連」)による議員立法で、提出議員には118名の議員が名を連ねていた。
 しかし、昨年の臨時国会では審議されず「継続審議」。今年の国会でも審議が全くされないまま衆議院解散を迎え廃案となってしまった。与党自民党の内部で「真相究明は補償につながる」「自虐史観を助長する」等の意見が強く、「まずは真相究明を」という一部自民党議員の声も通じなかったからである。こうした自民党の動きは、「新しい歴史教科書を作る会」など排外的ナショナリズムの動きにも連動しているが、その動きに比べて真相究明を求める声の広がりが弱かったのも事実である。
 こうした日本の政局のみにとらわれると強い閉塞感に襲われる。が、国外では戦争被害の真相究明や個人補償を求める動きは、与野党を超え大きく広がっている。本稿では、真相究明法の立法化が日本の排外的ナショナリズムを揺さぶるような対抗運動になっていないのはなぜか、日本とアメリカの真相究明法制定の動きを対比させるなかで考えてみたいと思う。

 

1. アメリカにおける真相究明の動き

 世界は、起こったことについて十分で完全な記録を手に入れる資格がある ―、99年11月、アメリカ政府が保管する旧日本軍関連資料の情報公開を求める法案(Japanese Imperial Army Disclosure Act. ファインスタイン法案)がアメリカ連邦議会に提案された。この言葉は法案が提出された時、提出者であるファインスタイン上院議員が声明(注1)の中で述べた言葉である。
 彼女は声明の中で、まず自分の発言が反日的と見なされるべきではないことを確認したうえで、法案の目的は「第二次大戦中に日本陸軍が行った化学細菌戦実験の犠牲者を助け、同様に彼らの家族や遺族が50年前彼らに何が起こったかについて情報を手に入れることを助ける」こと、そして「アジア― 太平洋地域における誠実な対話と討論の環境作り」をすることであると述べている。
 法案の具体的内容は、大統領に直属する「日本帝国軍省庁間作業部会」を設立し、大統領の強いリーダーシップのもとで政府の全てを機密扱いされていた日本帝国軍関係資料を探索、確認し、機密解除を勧告して公開を促進するというもので、公開された資料は国立公文書館で公衆の利用に供される。情報公開の対象は、東京裁判に関する記録を視野に入れ、期間を1931年9月18日(満州事件勃発)から1948年12月31日までとし、東京裁判の判決段階では追求されなかった「人道に対する罪」に該当する人体実験と迫害について、実行者だけでなくあらゆる関係者に関する記録または記録の一部。しかも情報自由法(FOIA)との関係を意識して公開の適用除外規定を詳細に定め、この適用除外に該当する情報であっても、情報を保有する省庁の長が特に「暴露と公開が有害である」裁定することを条件として課している。
 この非常に実効性のある法案は今年の5月、アメリカ連邦議会上院の司法委員会で満場一致可決され上院本会議に送られ、また、今年2月には下院でも、共和党議員が同一内容の法案を提案し、審議がはじまれば早期に成立するだろうといわれている。
 では、アメリカの真相究明の立法化はなぜ二大政党を巻き込むほど大きな動きになりえたのか。アメリカは戦勝国だから、単なるジャパンバッシング、アメリカの対アジア戦略という解釈もありうるだろう。しかし、前記この法案が提出された経緯(注2)をたどってみると、単純にそうは言い切れない側面も見えてくる。

(1) 「免責した事実を隠蔽しない国家」のイメージ
  ファインスタイン議員が法の目的の1つにあげている七三一部隊関係資料への関心は、80年代に入り、アメリカ人捕虜が七三一部隊による人体実験の材料にされた疑いが浮上したことに端を発している。この問題はアメリカ連邦議会のなかでも取り上げられ、戦後七三一部隊の戦争犯罪を免責したアメリカの責任が明るみに出され、アメリカが免責と引き換えに捕獲した七三一部隊関係資料の行方が不明であることが問題になった。
  アメリカ下院では、七三一部隊に関する聴聞会が1982年と86年の2回開かれたが、82年の聴聞会では「ダグラス・マッカーサーは1942年にフィリピン戦の敗北で部下を見捨て、1946年5月には七三一部隊の保有する生物戦に関する記録と引き換えに部下の運命を封じ込めた」という、ショッキングな告発が元捕虜の子どもからなされた。
  しかも、86年の聴聞会で証言者は、ミドリ十字創業者・内藤良一がミドリ十字設立後も人工血液の研究を続け、彼の会社が近年アメリカで血液製剤販売の許可を得たことを指摘したうえで、占領軍と七三一部隊幹部との密接な関係も示唆し、七三一部隊の戦争犯罪にアメリカが戦中・戦後だけでなく現在も密接に関わり続けていることをも印象づけた。
  こうした流れの中で、アメリカが捕獲した七三一部隊関係資料は「1950年代終わりごろか60年代初めに……写しも取らずに箱詰で日本に返還された」と陸軍記録管理部長が証言し、一方、日本の防衛庁は、58年にアメリカから返還された資料4万点のうちには七三一部隊の活動状況や部隊と細菌戦との関連を示す資料は存在しないと、87年12月17日参議院決算委員会で答弁(注3)し、資料の行方を明らかにすることが政治課題になっていったのである。
  すなわち、資料の行方を明らかにするということは、アメリカ人捕虜の尊厳を回復することに結びつくだけでなく、現在の政府の責任を問うことにもなる。したがって、それを恐れず真相究明法を制定するということは、アメリカが「戦犯免責の事実を隠蔽するような国家ではない」という国家のイメージに結びつき、ナショナリズムの方向性をもっていたといえるのではないだろうか。

(2) ナショナリズムに対抗するアイデンティティの模索
  ファインスタイン議員は声明の冒頭で、この法案が「多数のカリフォルニア州民により強く求められてきたことである」と述べているが、真相究明法の動きのもう1つの背景は、ファインスタイン議員の地元であるカリフォルニア州にある。
  99年、カリフォルニア州議会で「第二次大戦中に日本軍により犯された戦争犯罪に関する合同決議」(AJR27決議)が日系のマイク・ホンダ下院議員により提出され成立した。
  AJR27決議は、戦争中の「残虐な戦争犯罪」についてあいまいでない明確な謝罪を公式に行うこと、被害者に対して直ちに賠償を行うことを日本政府に求めたものだ。
  もう1人の日系のナカノ議員は、決議が昔の反日感情を呼び覚ますことを懸念して当初は棄権に回っていたが、「日本の戦争犯罪人と日系アメリカ人との区別を無視して議論を進めようとする人々の行動を非難する」等の文章を挿入することで、合意したという。
  さらに、ホンダ議員がこの決議を提案した背景には、カリフォルニア州におけるアジア系アメリカ人社会に直面する複雑な状況がある。カリフォルニア州はアジア系住民が急増、出身国も多様化し、言語、文化、様々なナショナリティーなど多くの相違を含み、アジア太平洋 ― 共同体の形成の阻害要因を多く抱えていた。その中でも特に、第二次大戦中の関係が今でもアジア太平洋出身の人々の間に壁をつくっていたのである。
  しかし、90年代後半から保守化し、移民への偏見や攻撃が強まってきたアメリカ社会の中で、ジャパンバッシングはしばしば日系だけでなくアジア系市民全体に不利をこうむるという状況が生じてしまった。そうした状況に対抗して、歴史の記憶を共有することでアジア系アメリカ人としてのアイデンティティを模索しようという動きが始まったのである。
  移民にも星条旗にロイヤリティーを誓わせるアメリカで、ナショナリズムに対抗するアイデンティティの基盤を発展途上のエスニック集団に見出だそうとする日系アメリカ人。アメリカの真相究明法の実現は、排外的ナショナリズムに対抗しようとする確かなアイデンティティにも共鳴している。しかも、それが「マイノリティティにも寛容なアメリカ」という国家イメージに結びつくことは言うまでもない。

 

2. 日本における真相究明法の立法化

 では、日本における真相究明法制定の動きはどのような国家イメージと結びついていたのだろうか。

(1) 真相究明法提出までの経緯
  まず、日本で真相究明が議員立法という方向に向かった経緯から説明しておこう。日本の戦争責任問題に決着をつける動きの中で、「真相究明法が必要」だということを認識させる契機になったのは、「慰安婦問題」に対する日本政府の対応である。
  「慰安婦」の存在を最初に問題化し、「慰安婦」への謝罪と補償を要求する声を最初にあげたのは、韓国の女性団体だった(90年5月)。この要求に対し、日本政府は真相究明もしないまま「民間の業者が連れ歩いたもの」と答弁し、軍の関与さえ認めなかった。しかし、こうした無責任な日本政府の対応が変わらざるを得なかったのは、元慰安婦の女性たちが名乗り出て苦しい過去の体験を語り始めたと、市民運動団体や研究者によって軍の関与を示す歴史資料が次々に発見されたからである。
  そして93年、日本政府は「慰安婦問題」に関し内閣官房長官談話を発表(注4)し、軍の直接・間接的な関与や一定の強制性を公式に認めるようになった。しかし、その公表にいたる政府の2回の調査は十分なものとは言えず、その当時から「逆に攻撃的なナショナリズムを生む危険性がある」(注5)という指摘がすでになされていた。案の定、「被害者の証言を裏付ける公的資料はなかった」「外交上配慮して認めたものにすぎない」(注6)といった否定論が浮上してきたのである。
  しかし政府は、その後も真相解明を中途半端にしたまま「女性のためのアジア平和国民基金」を創設して法的責任を回避し、元「慰安婦」の女性たちの間に分断と新たな苦しみをもたらしてしまった。こうした状況の中で96年、文部省検定済みの中学校教科書全てに慰安婦問題が記述されたことを契機に、「新しい歴史教科書をつくる会」が教科書から慰安婦記述を削除せよという全国キャンペーンを展開し(注7)、「慰安婦」問題の本質を真っ向から覆す自由主義史観が台頭してきたのである。
  こうした慰安婦問題への政府の対応(行政)や、戦後補償裁判一般で勝訴がなかなか得られない(司法)なかで、96年6月、26人の議員が「戦時性的強制被害者問題調査会設置法」を参議院に提出し、これが立法に活路を見出す契機になっていった(注8)

(2) 「いまさら真相究明法?」という気分
  ところで、90年代戦後補償の象徴ともなった慰安婦問題は、多くの「被害者」の証言を可能にし、その証言を裏付けるような歴史資料が次々に発見された。また国連小委員会でもクマラスワミ、マクドゥーガルなどの特別報告者が日本の性奴隷制(「慰安婦」問題)について報告し、「人道にたいする罪」にあたり国際法上の法的責任を問うだけの事実があると、国際社会のなかでも認知されるようになった。こうした展開のなかで、あとは被害女性たちが日本政府に対して要求してきた公式謝罪と元慰安婦に対する補償、加害者の処罰を日本政府が実行するだけという状況ができあがってしまい、「慰安婦」問題が社会に与えたインパクトの大きさは、一方で「いまさら真相究明法が必要なの?」という気分も生み出してしまったのである。
  しかし、実際日本ではまだ多くの史料が未公開のままだ。公文書の管理、公開を業務とする国立公文書館には、現在43万冊もの資料が保管されているが、このうち公開されているのはわずか35%の15万冊にすぎず、自治省には、戦前・戦中の警察、朝鮮総督府、台湾総督府などの資料が放置され、その資料は積み上げると2万メートルになる(注9)といわれている。
  歴史家の吉見義明氏は、戦前の朝鮮総督府、台湾総督府を管轄していた拓務省・内務省関係の資料、渡航許可を出し、徴募の割り当てを行っていた警察資料、数千刊と予想される業務日誌・従軍日記、防衛庁の各機関や陸上自衛隊の各師団などが所蔵している資料、BC級戦犯裁判資料、外務省の賠償・請求権問題資料などが公開されれば、真相解明は一挙に進むだろうと語っているほどである(注10)
  保有する文書の公開が進んでいない日本の現状からすれば、真相究明法が必要であることは確かだ。

(3) 国会に提出された真相究明法案
  では、実際に国会に提出された法案はどのようなものだったのか、真相究明の立法化運動に結びつく国家イメージを探る前に概観してみよう。
  99年8月に衆議院に上程された法案は、国会の付属機関である国立国会図書館に「恒久平和調査局」を設置し、国立国会図書館長が各関係行政機関や地方公共団体に対し、資料の提出や協力をもとめる権限を持つというものだ。調査の結果を衆参両議長に報告することを義務づけ、調査には国立国会図書館員があたり、必要なときは学識経験者にも協力を求めることができる。
  そして調査対象は、期間を31年(満州事変勃発)から45年9月2日(ミズーリ号上での降伏文書調印)までとし、政府と旧陸海軍が直接または間接的に関与して行った外国人に対する「徴用」「性的行為の強制」「非人道的行為」とそれによって生じた被害の実態、「生物化学兵器の開発、実験、生産、貯蔵……使用の実態」と戦後処理についてで、ファインスタイン法が七三一部隊の人体実験に調査の焦点をしぼっているのに対して、ほぼ戦争の全般を包括するものになっている。
  法案そのものの問題点としては、図書館長の資料提出や協力の要請に対し、各関係行政機関や地方公共団体の長は資料提供を拒むことができることがあげられる。拒む理由を明らかにする(疎明)義務を科し、疎明が受諾できない場合は内閣の「国家の重大な利益に悪影響を及ぼす」旨の声明が必要という条件は課しているが、来年から施行される情報公開法との関係についても不明確である。その他にも、議会対策を考えて、法案検討段階では入っていた「外国の政府あるいは外国の機関への協力」が削除され、政策的・国会対策的配慮から日本人戦争犠牲者も調査対象として加えることができる文言が挿入されている。
  しかし、それよりもさらに重要な問題は、「文書保存年限」が切れた文書を各行政官庁が廃棄する危険性を防止する措置がとれなかったことだと思う。
  法案の検討段階から、各行政機関の非現用文書を強制的に公文書館に移して文書管理がなされるように、真相究明法の制定と同時に国立公文書館法の制定が必要であることは歴史家からも指摘されていた。
  ところが、公文書館への文書移管を、単に公文書館と文書保有機関の間の「合意」とする国立公文書館法が、ほとんど注目もされず99年6月に成立してしまった(注11)のである。この公文書館法は開示請求権が明記されず、公開方法も閲覧のみで、「合理的な理由」があれば非公開にできると行政側の裁量権が広い。非公開の場合、不服審査の道も残されておらず、公文書館に移管されるとたたかいようがないという問題の多いものだ。ところが与野党合意の議員立法ということで、ほとんど審議もされずに成立してしまった。こうした議員立法の現実は、歴史的史料としての公文書に対する認識の低さ(信頼の低さ?)を物語っているといえるだろう。

(4) 「過ちを隠蔽する国家」というイメージ
  では、真相究明法の制定運動は社会の中でどのような意味をもち、どのような国家イメージに結びついたものだったのだろうか。
  前述したように、「慰安婦」問題のインパクトに対する反動(排外的ナショナリズム)は、厳密な真相究明の作業が必要だという認識を運動する側に作ってきた。その一方で、あとは補償と加害者処罰だけという「慰安婦」問題が作り出した状況にもかかわらず、「補償問題に発展したら困る」「今さら処罰なんて」という日本人の戸惑いを払拭することはできなかった。「新しい歴史教科書を作る会」や自由主義史観などの広がりは、そうした不安や戸惑いに方向をあたえるものだったことは否定できないと思う。
  女性が戦争システムに回収される様を、マスメディアを通じて流布された戦時下の女性のイメージという視点から捉えた若桑みどり(注12)は、言論的・論理中心的な知識や教育が無化され、「感性的、感情的、心情的な力というもの、感性的な言説空間というものが、とくにこの20年の間に大衆文化のなかにみなぎった」ことを指摘する。
  しかし、こうした時代のなかで「史実とは異なる」という批判に対して新たな資料を提示して対峙するというやり方は、明らかに言論的・論理中心的な対応だ。また、排外的ナショナリズムに回収される感性にとって、「真実を明らかに」という要求は「過ちを隠蔽する国家」への告発であり、自らの内に矛盾を作り出すものとしてもイメージされるものだろう。有事を想定した政治家の発言が支持される日本の状況の中で、真相究明法の制定という運動自体が負っている構造的負荷の側面を、あらためて確認することが必要なのではないかと思う。
  アメリカと日本の真相究明の動きを概観すると、「真理がわれらを自由にする」という世界観を共有しながらも、それの持つ意味が国民にとって大きく異なり、真相究明法制定という政治的要求が結びつく国家イメージが対照的であることがわかる。
  「国を動かすことができるのは1枚の法令ではなくて、浸透しきった文化。浸透しきった文化というのは間違いなくある方向に国を持っていこうとする階層が意識的に生産している」。だとすれば、この文化という根本的政治性のなかで、日本の真相究明法の制定という運動自体が負っている構造的負荷の側面を、あらためて確認することが必要なのではないかと思う。
  最後に、こうした日本の状況のなかでも注目されるナショナリズムに対抗する動きを紹介しておきたい。20世紀最後の今年12月、日本軍「慰安婦」制度の加害責任を裁く「女性国際戦犯法廷」が東京で開催される。この国際民間法廷は、加害国日本の女性団体であるVAWW-Net-Japan(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)によって提案され、国境を超えた女性たちの手によって現在準備が進められている。法廷の目的の一つは、「慰安婦」制度が女性に対する戦争犯罪であることを明らかにし、被害者の正義と尊厳の回復に資すること。そしてもう一つは戦時性暴力不処罰に終止符を打ちその再発を防ぐという21世紀に向けた課題に挑戦することだ。
  アメリカのみならず連合諸国が行ったアジアの軍事裁判でもほとんど無視された問題であり、現在でも、国家のためにたたかう兵士の「慰安」だった、慰安婦=買春婦だと、国家や兵士の側の視点からしか捉えられない現状がある。こうした文化の根底にあり、今も在り続ける性の政治性への挑戦といえるだろう。

* 本稿は、『自治研かごしま』第70号に掲載した原稿に、多少加筆・修正したものである。

 

(1) ファインスタイン法案全文及びファインスタイン上院議員の声明等は、http://thomas.loc.govのBill numberにS1902と打ち込むと見ることができる。邦訳は『戦争責任研究・28号』(日本戦争責任資料センター)。
   尚、法案の内容は1998年10月に成立した「ナチ戦争犯罪情報法(Nazi War Crimes Disclosure Act)」とほぼ同じもので、後者の法によって設置された「ナチ戦争犯罪記録省庁間作業部会(IWG)」も、同法に基づき「同盟国(日本)の戦争犯罪に関する記録の機密解除に向けて活動する」ことを今年3月23日に決めている。
   ナチ法及びIWGの活動については、http://www.nara.gov/iwg/

(2) アメリカにおける真相究明法の動きについては以下の論稿を参考した。     
    荒井信一 「アメリカ議会の対日真相究明法案について」『戦争責任研究・第28号』(日本戦争責任資料センター)。
    徳留絹枝 「追及の刃はどこに向けられているのか」『論座』2000年5月号(朝日新聞社)

(3) 1987年12月17日、参議院決算委員会。七三一部隊関係の国会質問は、最近のものとしては、栗原君子参議院議員が97年12月17日(参議院・総務委員会)、98年4月2日、7日(参議院・総務委員会)で、調査会法を起案し制定運動の中心になった田中甲議員が99年2月18日(衆議院・予算委員会)で行っているが、田中甲議員の質問に答えて、野呂田国務大臣は「具体的な活動状況やご指摘の生体実験に関する事実を確認できる資料は確認されてない」(1999年2月18日衆議院予算委員会議事録)と答えている。
   ただし、七三一部隊による人体実験の事実については、民間の研究者や市民によって資料が発掘され、例えば家永教科書訴訟における原告側意見書などでも完全な立証がなされている。詳しくは、宮崎章「隠蔽と解明と ― 七三一部隊研究の歴史をたどって」『戦争責任研究・第2号』(日本戦争責任資料センター)。

(4) 1993年8月4日朝日新聞に全文掲載。後に、中学校歴史教科書への慰安婦記述がなされた1997年3月31日朝日新聞にも再掲されている。

(5) 吉田裕一橋大学教授・93年8月5日(共同通信)。

(6) 桜井よしこ「密約外交の代償」『文芸春秋』97年4月号。

(7) キャンペーンの一環として、地方議会で「慰安婦記述を削除することを要望する意見書」を採択させる運動を全国的に展開。97年の6月議会が終った段階で371地方議会に削除を求める陳情・請願が提出され、4県30市町村の議会が採択(あるいは趣旨採択)した。鹿児島でも県議会が3月25日に陳情を趣旨採択し、吹上町では意見書が採択されている。参照、平井一臣、疋田京子「草の根ナショナリズムの現在 ― 地方議会と『従軍慰安婦』問題」『自治研かごしま』第61号。

(8) 日本の真相究明法制定の動きについては、「戦争被害調査会法を実現する市民会議」発行の「市民会議通信」(現在、12号まで発行)、「シンポジウム・戦争被害調査会法を考える」パンフレット(市民会議発行)と、「関釜裁判ニュース」(1992年12月、韓国釜山市などに住む元「慰安婦」と元女子勤労挺身隊の10人が山口地裁下関支部に提訴し現在・広島高裁で控訴審の「関釜裁判」を支援する市民団体発行)。及び、以下のホームページを参考にした。
   http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/5481/index.html
   http://www1.neweb.ne.jp/wb/kanpu

(9) 1994年11月6日毎日新聞。

(10) 吉見義明「歴史資料をどう読むか」『世界』97年3月号、同『従軍慰安婦』(岩波新書)。

(11) 1999年6月3日朝日新聞。1999年4月27日参議院・総務委員会議事録、6月15日衆議院・内閣委員会議事録。

(12) 文中「 」で示したところは、若桑みどり「国家戦略としての国家」『戦争責任研究・第27号』(日本戦争責任資料センター)から。尚、国家イメージの記述については同27号のなかの「シンポジウム報告集・「戦争論」から「戦争法」へ」、また文中でも紹介した、若桑みどり『戦争がつくる女性像』(筑摩書房)を参考にした。