井手町の隣保館の現状と課題

京都府本部/井手町職員組合

 

1. 地区の概要

 井手町は、京都府の南部、南山城平野のほぼ中央に位置し、総面積18.01平方キロ、人口9,054人、世帯数3,092戸の都市近郊型の小さな田園の町です。
 京都・大阪への至近距離に位置しながらも、幸いにして乱開発からまぬがれた本町は、豊かな自然と美しい緑に恵まれています。
 しかし、一方では徐々に都市化が進行してきており、これに対応する施策が行政の重大な課題となっています。
 こうした情勢を認識しながら、自然を守り、愛し、安らぎと生きがいのある住みよいまちを目指して、住民一人ひとりが基本的人権を守り、健康的で文化的な生活を創造し、すべての人が“しあわせ”を感じるまちづくりをすすめています。
 本町の同和地区は、町の南西部、木津川の右岸に位置し隣接していますが、全町で12行政区があり、その内2地区に分かれています。地区人口は、町人口の約3分の1を占め、両地区には一部混住地域を含め、それぞれ400世帯ずつの住民が暮らしています。
 地形的には、同和地区は一方は山地で三方を天井川(木津川・玉川・渋川)に囲まれた低地域に密集した集落が形成されてきました。その結果、厳しい自然条件にさらされ、過去幾度か河川の氾らんや降雨の都度浸水などの自然災害を受けてきました。近年では、昭和28年の南山城大水害において、地区の南端部を流れる渋川が決壊し、甚大な被害を受けました。これを契機に、逐次河川大改修や整備が計画的に進められ、今日に至り同対策事業の一環として昭和54年4月に合藪都市下水路・ポンプ場がやっと完成し、これで永かった常時水害地区が解消されることになりました。
 地区の職業は、これと言った地場産業はなく、戦前は農業従事者といっても自作農はごくわずかであり、大半は小作をしながら草鞋づくりをしたり、その合間に山などでとれる産物(ふじ、うるしの実・竹の皮・桑)を売って生計をたてる人達がほとんどで、それ以外には土木業に従事する人達も多く、いわゆる日雇人夫として就労してきました。
 戦後になっても、その就労形態はほとんどかわらず、昭和28年の水害の復旧工事と高度経済成長期の好景気が訪れ、その波に乗って土木業に従事する人が増え、地区の職業の大部分が土木関連の職種で占められるようになりました。
 しかし、低成長時代に入った今日では、地区のほとんどの土木業者が下請けや孫請けといった零細業者のため景気の変動を一番にうけ、官公庁の年度末の時期などに仕事が集中するくらいで、他の時期にはほとんど仕事がないという生活上極めて不安定な状況にあります。
 国勢調査による就労調査を見ても、同和地区内では約10年前位から少しずつではあるが会社員や公務員になる人が増えつつあります。
 しかし、一方では、まだまだ教育力などの弱さから、たとえ高校や大学を卒業したとしても、再び不安定な土木関連作業員という仕事に従事する人が多いという厳しい傾向があります。
 昭和44年「同和対策事業特別措置法」が施行され以来、解放運動の盛り上がりとともに、劣悪な地区の生活環境は著しい変化を見ました。
 しかし、今日なお多くの課題が残されています。とりわけ、教育や就労面では一般地区との間にかなりの格差が残されており、深刻な現状にあります。

2. 館における活動について

 青少年
 ア)児童館との連携……子供会・児童館主催の教室への参加、児童館土曜日午後開館への参加、地区児童生徒とのつながりをつくる。
 イ)高校・大学・技能修得奨学生への取り組み
  a)奨学生の現状
    同和地区生徒の教育実態を見ると、高校・大学奨学金制度や教育施策により、高校進学率だけをみれば、府平均との格差は縮まったようにみえますが、中退者や進級できない地区生徒が毎年1割から2割近く見られるのが現状であり、今春の高校卒業率は71.8%(入学時39名、卒業時28名)と2割以上が卒業できない状況であり、教育には依然として解決のための努力が必要であり、課題が残されているのが現状であります。
    中退者の理由の多くには、授業についていけないが大多数をしめ他、進路選択が間違っていた等があります。
    また、大学進学については、京都府平均の2分の1から3分の1にしかいたっていないのが現状であります。
    高校中退者の増加は当然就労にも大きく影響し、不安定な職業でしか働けない状況を生みだし教育の果たす役割は重大であります。
    この様な厳しい現状の中、隣保館では、高校奨学生・大学奨学生・専門学校奨学生を対象(学期ごと)に奨学金制度の意義及び、部落差別を始めとする人権問題の学習会等を行っています。
  b)学校訪問の取り組み
    1975年(昭和50年)奨学生の通う高校・専門学校に教育委員会と共に学校訪問の取り組みを始めました。
    毎年1学期の中間試験の結果のでる6月から7月にかけて各高校・専門学校を順次訪問し、奨学生の学校での様子や学力等を聞き、学校との連携を深め、中途退学を未然に防ぐ取り組みを行ってきました。
    学校訪問を始めた当初は、一部の学校であるが個人のプライバシー(学力等)に関することは教えられないなど、学校の協力が得られない時期もありましたが、学校訪問を毎年続ける一方、学力・生活面に課題をもつ奨学生に地道にかかわり続けることにより、学校との信頼も得て連携を深めてきました。

3. 隣保館が果たす役割

 教育問題を中心に述べてさせていただきます。
 人間は、一生を通じて何らかの仕事に従事していかなければなりません。
 また、自らの意志で職業を選択する権利「就職の機会均等」を持っています。しかし、残念なことに同和地区の人達は今なお部落差別の結果、不安定な仕事「土木建設業」に従事されている方が7割から8割(井手町同和地区)を占めているのが現状であり、言い替えれば教育が充分保障されていなかった結果であります。
 自分自身には、「まったく関係なく・まったく知らないところ」で、ただ同和地区に生れた事だけで言われもない差別(就職差別・結婚差別等)を受けるのはとてもおかしな事ではないでしょうか。
 井手町では、この様な部落差別の現状を踏まえ、教育は極めて重要な課題として取り組んできたところであります。
 「教育は、未来を保障する」とよく言われていますが、部落の教育実態について、高校進学率は高校奨学金制度や教育施策により、府平均との格差は数学的に縮まったようにみえます。
 しかし、先にも述べたとおり中退者や進級できない地区生徒が毎年2割近いのが現状であり、高校中退者の増加は、当然、就労にも大きく影響し、不安定な職業でしか働けない状況を生みだし教育の果たす役割は重大であります。
 この様な厳しい現状の中、隣保館では、高校奨学生・大学奨学生・専門学校奨学生を対象(学期ごと)に奨学金制度の意義及び、部落差別を始めとする人権問題の学習会や、また学校での悩み等を話し合い奨学生自らが差別に負けない奨学生を目指して学習を積み重ねています。
 様々な取り組みの中のひとつに、奨学生自らが自分自身の問題ととらえた「奨学生友の会」があります。「差別を許さない、差別に負けない」学習会(学校での悩み)等を定期的に行い差別解消のため、積極的な活動が取り組まれています。
 この様な学習会(学校での悩み)等を積み重ねる中で、奨学生自らが体験した内容を一例紹介します。
 高校奨学生(A子さん)から、「同和問題の勉強をしたい」と隣保館にこられました。
 理由を聞くと(A子さん)は、京都市内の私立高校の在校生で登校途中、隣にいた友達(B子さん)が、(A子さん)に対して、前方に同じ高校の在校生(C子さん)を指でさし、「あの子な同和地区の人やね、きをつけや、A子ちゃん」その時、(A子さん)は、空から何か重い物が自分にのし掛ったような衝撃があり目の前が真っ暗になり、ただ(B子さん)のいった言葉にうなずくだけで何故その時に隣にいた(B子さん)に私も「同和地区出身者やねん。何をきをつけるのや」と言えなかった自分自身に怒りを感じ、まだまだ部落に対する差別がある事を実感しましたと、初めての体験(経験)を話してくれました。
 この様に奨学生一人ひとりが自覚を持ち差別に立ち向い、同和地区に対する差別・偏見の解消のため懸命に努力されています。

4. 終わりに

 井手町が行った人権意識調査結果の中で、約70パーセントの方が「同和地区出身者との結婚問題は意識する。」と答えられています。結婚問題は、「差別があるから」、「私はかまわないが、まわりの人が反対するから」と自己の責任を回避し、結果的には差別をしてしまうことが、残念ながら今も残っているのです。
 人間は学歴や家柄、外見だけでの先入観で判断されるものではなく、一人ひとりの人間を見て判断されるものです。
 私たちが生きている社会は、人種の違いや民族の違い、さらには、自然環境の違いの中で生活しています。
 それぞれが希望を持ち一生懸命に生きている、輝いた人たち、学歴や家柄などでなく、本人の努力が作り上げるものなのです。
 差別は、「人」の都合によって作り出されたものです。その差別を解消するのも「人」であり、私たち一人ひとりなのです。
 一人ひとりがお互いの人権をみつめ直し、自分自身の問題としてあらゆる差別を解消していく町を、築づいていかなければなりません。