個別労使紛争解決システムへの考え方

自治労/全国労政連絡会

 

1. はじめに

 戦後、労働基準法・労働組合法・労働関係調整法のいわゆる労働三法が制定されてから半世紀以上が経過した。戦後の労働法が基本としたのは、最低労働基準の確保と労働組合に関わる集団的労使関係であった。
 しかし、現在の労働問題の状況は、大きく様変わりしている。労働基準法違反が後を絶たず最低労働基準の確保という要請は未だ強いものがあるが、近年の相次ぐ労働法規の改正=規制緩和に伴い徐々に労使自治への移行が進みつつある。また、労働争議の大幅な減少に見られるように、集団的労使関係は概ね落ちついた状況にある。不当労働行為の申立件数も一部の都府県を除いて、極めて少なくなってきている。
 こうした動きとは裏腹に、「労使関係の個別化」とも言うべき事態が進行しており、パート・派遣・男女平等・セクシュアルハラスメント・いじめ・メンタルヘルス・年齢差別等の問題が大きくクローズアップされてきている。戦後半世紀を経て、労働問題が、生活のための最低労働条件の確保にとどまらず、労働条件の公正さにも問題を広げてきたと言えよう。
 かかる状況の変化を受けて、1990年代後半から、この新たな労働問題に対応すべく「個別労使紛争解決システム」の検討が各方面で積み重ねられてきた。今日、具体的な姿を見せているものに、地方労働局活用案(労働省)、労働委員会活用案(連合・民主党、全国労働委員会協議会)、民事調停活用案(日経連)がある。また、司法制度改革の論議の中で、労働裁判のあり方や裁判外紛争処理制度(ADR)に関する検討が進められている。以上のような情勢を踏まえて、これまで先駆的に個別労使紛争の解決に取り組んできた都道府県の労政事務所での経験と実績をもとに、自治労・全国労政連絡会として個別労使紛争解決システムに関する見解を表明する。

2. 個別労使紛争の多様性

 個別労使紛争の具体的なあり様は、どのようなものであろうか。労政事務所での相談で最も多い相談項目は、「解雇」「賃金不払い」「労働契約」などである。
 「解雇」を例にとって、その原因や解決内容の多様性を見てみる。まず、相談に持ち込まれる解雇の原因としては、能力不足・勤務態度不良・業務命令違反などから、協調性・職場の人間関係・社長が気に入らないまで、様々である。労働者本人に問題がある場合もあれば、職場や会社自体に問題がある場合もある。また、求められる解決も多様であり、解雇の撤回、解雇予告手当の支払い、謝罪、名誉回復措置、和解金の支払い、雇用保険の遡及加入、労務管理の改善などである。これらを整理してみれば、過去の事実に対する判定的要素・補償的要素が強いものもあれば、現在あるいは将来へ向けての新たな関係創出的要素が強いものもある。
 あくまで調整的手法の中で解決を目指すのであるから、個々のケースの特徴に適合した解決を探るノウハウと想像力が要求される。具体的には、「紛争の背景・要因を分析する能力」や「対人関係を調整する能力」、また「事案に適合した解決方法を探る能力」などである。また、ケースによって、行政が直ちに解決のために動きだしたほうがよい場合もあれば、直接に解決に乗り出さず、当事者間での自主的解決のためのアドバイスに留めたほうがよいと思われる場合もある。個別労使紛争解決システムは、こうした問題解決手法に適した組織的・人的体制を持たなければならない。

3. 個別労使紛争解決システムに要求されるもの

 個別労使紛争は、基本的に労働者個人と使用者との間に起こる問題であるから、その解決システムも労働者個人が経済的にも精神的にも負担可能な範囲で問題解決できるものでなければならない。したがって、システムとして「簡易・迅速・低廉(無料)」である必要がある。
 また、広範な労働問題に対応することが求められており、解決についても多様な要素の考慮が必要であるから、「専門的知識とノウハウ」を備えた人材を擁していなければならない。そして、システムが解決力を持つためには労使双方からの信頼性が不可欠であり、労働法規の趣旨を踏まえた「公正さ」を有していなければならない。
 さらに、個別労使の納得する妥当な解決を図るためには、地域の労働事情を十分に勘案することも重要であり、その意味で地域の労働情報を常に把握できる組織であることも要求される。

4. 地方労働局活用案(労働省)について

 現在、労働省は、今年3月に閣議決定された「規制緩和推進3か年計画」を受け、労政局に「個別紛争処理対策準備室」を設置して、個別労使紛争に対する簡易な処理システムを整備するべく検討を行っており、次期通常国会で「新法」を提案する意向である。
 これまでの検討では、①ワン・ストップ・サービスで対応するための総合相談窓口の整備、②都道府県労働局長による紛争解決援助制度(労基法第105条の3)の拡充、③機会均等調停委員会制度(均等法第14条以下)の発展的拡充(紛争調停委員会:仮称)による個別労使紛争全般への対応、の3段構え(相談・助言・指導・勧告・調停)を考えている。
 ①の相談窓口では「総合労働相談員」が対応に当たる。(来年度には260ヵ所の総合労働相談コーナー、602人の総合労働相談員を予算要求中)これは、あくまで労働基準監督官による警察的取締りとは別建てであり、正規職員ではない「相談員」による相談である。法違反でないものを扱うことを想定しており、相談=情報提供で済むものへの対応と考えている。労働相談を、紛争解決へ向けたアドバイス(法律知識や判例などの情報ばかりでなく、個々のケースに応じた具体的解決のノウハウを含む)とは考えていないのであり、具体的な解決を求める場合は、②または③へ行ってもらうことになる。
 しかし、②の紛争解決援助の担当官は、現在のところ各都道府県に若干名が兼務してやっているにすぎない。この担当官を労働基準監督官とは別個に大幅に増やさないかぎり、扱える事件数は大きく制約され、現実の必要に応えきれないと言わなければならない。
 ③についても、調停制度の個別労使紛争全般への対象範囲の拡大に伴い、委員(現在学経3名)の大幅な拡充や設置箇所の大幅な拡大がなければ、大量な個別労使紛争に機動的に対処することはできない。(ちなみに、来年度へ向けては47委員会、66チームを予算要求中)
 この都道府県労働局活用案は、個別労使紛争の当事者である労働者・使用者にとって、労働基準監督署と個別労使紛争解決システムとの、どちらを利用すべきか、区別が非常に困難である。例えば、「解雇」の場合、解雇予告手続きの違反は労基署の問題となるが、解雇予告手当の支払いそのものを望む労働者は、どちらに行けば扱ってもらえるのであろうか。「賃金不払い」にしても、不払いを法違反として刑事処分を行うことは労基署の仕事であるが、支払わせること自体は労基署の仕事ではない、とされている。
 また、「相談員」にとっても、法違反の有無の判断は必ずしも容易でなく、実際の事案においては法違反部分と利益紛争部分が混在していることも多い。どのような場合に労基署へ回し、どのような場合に相談対応とすべきか、判然としない。ケースによっては、両方の機関が対応するのであろうか。
 こうした個別労使紛争解決システムが、労働基準行政を含む都道府県労働局に同居するのである。これでは、行政の配分として不透明さが排除できず、とても適当なものとは思われない。
 さらに、労働省には、労働相談に対する軽視が抜きがたく存在するように思われる。労働相談に当たる「相談員」は労働省OBや社会保険労務士などであり、労働省の正規職員ではない。もし、労働相談を個別労使紛争解決システムの重要な柱と考えるならば、行政サービスに責任をもつ正規職員をもって対応すべきである。
 以上から考えて、労働省の提案する都道府県労働局活用案には、反対の態度を表明せざるをえない。むしろ労働省としては、広範な法違反に対応しなければならない労働基準行政を強化することこそが求められているのである。
 ちなみに、さる7月、政府の行政改革推進本部・規制改革委員会が発表した「規制改革に関する論点公開」の「労使紛争処理制度の在り方」では、都道府県労働局が個別的労使紛争の処理に当たることが現在構想されていることに対して、「現行労働基準法の下で都道府県労働局長が助言・指導を行う場合には、労働問題に関し専門的知識を有する者の意見を聴くものとされているとはいえ、法令に定める明確な基準に欠けるケース(解雇・配転・出向等)が少なくない」として、「その窓口となる機関の選択を含め、更に検討を重ねる必要がある」との見解が表明されている。
 なお、規制改革委員会は、今年12月に見解をまとめ、来年3月末に閣議決定を予定している。

5. 地方労働委員会活用案(連合・民主党、全労委)について

 連合は数年間にわたり検討してきた労働委員会拡充案を昨年11月の中央委員会で決定した。今年3月には、民主党が「個別的労働関係の調整に関する法律案」としてまとめ、いつでも国会に提出できる体制となっている。
 民主党案は労働関係調整法の個人版という形をとっており、相談・あっせんは常勤・非常勤の相談員・あっせん員が、調停・仲裁は公労使三者構成の委員会が行うこととなっている。相談・あっせん部分は労政事務所機能と重なるところであるが、労働委員会と労政事務所が調整し、連携・共同して自治体レベルでの個別労使紛争への対応力を向上させていくことができる、と考えられる。
 連合は、年間50万件以上と推定される個別労使紛争が、労働委員会活用案だけで全て解決可能とは思っておらず、労政事務所・弁護士会仲裁センター・簡易裁判所の民事調停等との共存関係となると考えている。多様な個別労使紛争に対する解決システムを考えるとき、こうした重層的な発想は、重要である。
 自治労としても、労政行政が都道府県によりばらつきがあり、十分な個別労使紛争解決機能を有しているところが多くないことは認識している。したがって、労働委員会活用案が、労政行政が弱いところでの起爆剤になればと期待しており、連合=民主党案に基本的に賛成である。
 さる7月、全国労働委員会協議会は、「労働委員会制度のあり方に関する検討委員会」(公労使三者)による報告書をまとめた。これは、労働委員会に、労働相談と簡易なあっせんの機能を持たせようとするものである。制度化は、地方労働委員会事務が地方分権に伴い自治事務になったことから、条例や規則で可能と考えられている。この方法では、各都道府県の実情に応じて、地労委と労政事務所との調整を十分図ることができ、極めて現実的である。公労使三者の合意があるという点でも、実現可能性が高いと言えよう。

6. 民事調停活用案(日経連)について

 日経連は、簡易裁判所の民事調停制度の中に「雇用関係調停」を創設して、個別労使紛争に対応すると主張してきた。しかし、現在では、調停・仲裁はあくまでも裁判所でやるべきだが、相談・あっせんについては、労働委員会でやることに反対しない、というスタンスのようだ。
 民事調停活用案については、既に、裁判所における制度であり権利紛争についての調停に限定されるのではないか、また、情報提供等での柔軟で幅広い機能を果たすことは困難ではないか(労働省労使関係研究会1998.10)との指摘が出されている。また、民事調停という制度の中で、個別労使紛争という専門的知識・経験を要する問題について精通した人材を確保することができるか、大いに不安がある。さらに、裁判所におかれることからして、一般の労使にとって近づきにくい機関とならないか、と懸念される。
 民事調停という選択肢を必ずしも否定する必要はないが、これが個別労使紛争解決システムにおける決定打となるとは思われない。

7. 司法制度改革審議会の動向について

 現在、司法制度改革審議会においては、明治以来の司法制度改革について10月の中間答申、来年夏の最終答申へ向けて議論がなされている。多くの重要な論点の中で、労働裁判のあり方も論じられており、ADR(裁判外紛争処理制度)も含め、専門的知見を要する事件への対応が議論されている。
 労働裁判が国際的にみても日本では極めて少ないことからして、「簡易・迅速・低廉」な労働裁判の実現が必要であることは言うまでもない。また、最近は、労働裁判での判決で公正さに疑問が持たれるような判断も出てきており、裁判官に労使関係の現実への理解不足があると懸念される事態となっている。したがって、裁判官の採用・育成のあり方を含め、労働裁判の改善が強く望まれている。
 また、言うまでもなく、労働裁判のあり方は、間接的に個別労使紛争解決システムのあり方に影響を及ぼすものである。調整的手法で解決を図る場合にも、裁判手続が利用しやすければ、裁判手続への移行も念頭において調整が行われうる。しかし、現状では、個々の労働者にとって、裁判という選択肢がないケースがほとんどと言えよう。
 いずれにせよ、審議会での議論がどのようなものとなるか、今のところ定かではなく、どのような影響が出てくるか予想がつかない、というのが実情である。ただ、この審議会は高い位置づけを持ったものであり、関連するコメントが出てくれば、大きな影響を及ぼすおそれは否定できない。

8. 都道府県労政事務所の役割について

 東京・神奈川・大阪・福岡等の労政事務所は、①地域の労働問題の状況把握=各種調査・情報収集、②紛争の予防=労働教育啓発・情報提供、③労使による自主的解決支援=労働相談、④具体的解決援助=あっせん、という総合的な機能を有することにより、広範な労働問題に対するワン・ストップ・サービス機能と、行政サービスに責任をもつ職員主体の調整による解決能力を持っている。
 個別労使紛争を予防・解決する上で、このような他にはない総合的機能と経験を持つ労政事務所は、個別労使紛争解決システムがどのような形をとっても、その存在意義を失うことはないであろう。あえて誤解を恐れずに言えば、労政事務所は個別労使紛争解決システムとしてのみ存在する訳ではなく、広く地域の労働・経済事情に応じて労使関係の安定を図る機能も有している。また、先にみたような個別労使紛争の多様性からして、解決システムも性格の異なる多様な機関により担われてよいと考える。
 特に、労働委員会活用案では、各県に1つしかない労働委員会の不十分さを補うためにも、労政事務所の労働相談・あっせん機能を全国に広げることが、個別労使紛争解決機能全体の強化になるばかりでなく、都道府県が地域の労働行政を主体的に担うという地方分権の流れにも沿うものと考える。

<参考1> 自治労第85回定期大会(2000年8月)


「当面の闘争方針」から

4 労働基本権・労働安全衛生体制確立の取り組み
[公正労働実現のための取り組み]

⑧ リストラやパート労働をめぐって個人を当事者とする労使紛争が激増しています。自治労は、地方労働委員会が国の機関委任事務から自治事務に転換したことをふまえつつ、連合とともに、地労委の所掌事務の拡大にむけた制度改革を求めます。具体的には、地労委が従来からもっている集団的労使紛争への対応機能に加えて、個別労使紛争への対応機能をもつことができるよう制度改正を要求します。
  あわせて、都道府県労政事務所などの労働相談体制を拡充・整備して、有機的な連携が取れるよう求めます。また、地労委の労働者救済機能の強化、独立性、民主制の堅持にむけて対策を強化します。

<参考2> 連合の方針


「2000-2001年度政策・制度要求と提言」雇用・労働政策 から

7 雇用・労働の環境の変化に対応する新たなワークルールの整備・確立をはかること。
 ・中央労働委員会、地方労働委員会の機能を拡充して、個別労使紛争の解決システムを確立すること。

連合中央執行委員会決定(1999年11月11日)
「個別的労働関係における紛争の調整的解決に関する法律」制定の取り組み

前略…具体的には、労働組合法第20条の「労働委員会の権限」について労働委員会が集団的あるいは個別的を問わず、あらゆる労使紛争について、簡易、迅速、低廉をモットーとして解決できるよう制度の拡張と充実を図る。同時に、標記の法律を民主党議員による議員立法として制定するため、これに必要な法律案およびその段取りなどについて協議していく。また社民党・公明党・自由党に対してもこれを説明・理解を求め指示を要請していく。