1. 設立の経過
(株)会津リエゾンオフィスは、会津大学をはじめとする研究機関と、会津地域を中心とする企業や地域社会、あるいは行政などを連携させる仲介機関として、平成10年7月に設立された。
研究開発において、社会のニーズを組み込んだ研究内容を実現するため、コンソーシアム(共同研究体)を結成し、産学官民がある種のチームを組むことが多いが、このコンソーシアムを結成し、運営するというプロジェクト・マネージメントが当社の主たる設立目標である。このようなコンソーシアムにおいては、チームを組む相手型の選定、それぞれの役割分担、工程管理、仕上がりの評価と修正、開発費用の配分、知的所有権の帰属、成果物の活用方策など、実に様々なトラブルが発生するものであり、これを調整するには当社のような第三者機関の存在が有用であると実感している。
このような会社を設立する原因は、会津地域が待ち望んでいた会津大学(福島県立のコンピュータサイエンスの専門大学・大学院)の開学にある。昭和30年代から会津地域の産業界、教育界、市民、行政は4年制大学の開学を切望しており、それは平成5年の会津大学開学により実現されたが、「大学はできたけれど・・」という状況が生じた。あまりにも高い大学の研究水準、それを受け止めるにはあまりにも低い地域の企業活動水準というミスマッチが依然として存在し、「大学を地域振興へ活用するには?」という命題を解けない状態が生じたのである。
これを解決するために、通商産業省の支援を得て、平成8年から2年をかけて大規模な調査事業が行われ、その中で「リエゾンオフィス」という仲介機関の設置が提言されたのである。これは既にアメリカなどの先進国で制度化され、国内でも立命館大学でスタートしていたが、はたして会津地域のような人口33万程度のローカルな地域で実現可能かどうかは不鮮明なままでの船出であった。
幸い、会津若松市が中心的な役割を果たして、商工会議所や金融機関、あるいは情報系企業組合などの賛同を得、資本金1,000万円(うち51%が市)、平成10年度から4年間は市から一定の運営補助を行うという支援体制が整い、また人的には3名の外部専門家をリエゾンオフィサーとして迎え、NTTからも1名の人員応援を得て、常駐3名の小さな会社として設立を迎えることができた。筆者は、市から分限休職の形態で派遣され、その人件費は会社負担である、とはいえ市からの運営補助が人件費のある程度をまかなう図式である。
2. 活動の経過
(1) 暗中模索の時期
設立段階でのスタッフは、筆者、NTTからの応援1名、プロパーの経理担当1名の3名のみ、加えて市からの補助金1,500万円では経営できないので、少なくともあと800万程度の売上が必要という状況で、まず取り掛かったのは国の研究開発資金を獲得することである。前述したコンソーシアムを結成し、その研究開発内容を国の公募提案型研究開発事業へ応募するという作業に没頭した。かれこれ20件以上の応募申請を行ったのが、随分昔のことのように思い出される。
常駐スタッフで少しはコンピュータサイエンスがわかるのはNTTの1名のみ、そんな状況でわけもわからず「3次元画像処理技術」「エージェント技術」などなど、毎日毎日、大学の先生方の話を聞き、企業の研究者の話を聞き、夜なべ仕事で申請書類を書き込んでいたものである。幸い、国の景気対策・科学技術対策で補正予算があって、申請先には不自由しなかったが、いささかコンピュータサイエンスを理解できる今となっては、赤面というような申請内容もかなりあった。
とはいえ偶然というか、へたな鉄砲というか、そのうち2件が採択となり、合計で3億を超える研究開発資金を獲得することができ、当面の経営危機はクリアされた。しかし、本当の地獄はそこからはじまった。何せ、研究開発資金に見合う成果物を1年強で作り上げなければならない。そのために研究を担当する大学の先生、開発を担当する企業の研究者、その成果物を使って効果を実証する地域社会の関係者、この3者を調整し、決められた日程に添って作業を進め、加えてそれぞれに配分する資金を決め、膨大な報告書を作成するというとんでもない仕事に直面した。
「調整」という言葉は、語るには簡単だが、実際はかなりの力仕事で、ほとんど喧嘩と恫喝と誉め殺しに近いことを認識した。とあれ、いずれの研究開発も平成11年度一杯で完了し、無事に国への納品も終えることができた。
しかし、あしかけ15ヵ月の作業を通じて実感したのは、「研究開発のための研究開発」では意味がない、やはり地域の本当のニーズから出てくる研究開発でなければ、仕事自体に未来もないし、第一楽しくない、という事実であった。
(2) 「教育問題」への取り組み
それでは、当社が対応できる地域のニーズとは何だろうか、これを自問自答する日々が続いた。その出口は、意外と簡単な出会いから生まれたのである。
当社では平成10年度から平成11年度にかけて2件の研究開発に没頭していたが、それと平行してあるソフトウェアの普及を手がけていた。それは、会津大学の村川久子教授とともに、平成9年度に研究開発した小学生用の英会話ソフトウェアである。これは、当社が設立される前に作られたものであり、当社ではその普及・啓蒙を担当していたのであるが、それを実際に活用する小学校からこんな声が寄せられたのである。「よくできたソフトだけれど、私たちだけでは使いこなせない、誰か手助けをする人はいないかしら」、小学校の先生方はPCの使い方もよく知らないし、英語の専門家も少ない、その部分を支援してくれないか、こういう声であった。
そこで、当社は会津大学の学生さんに声をかけ、小学校へ行って、PCの使い方や、英語の発音などを実際に指導してもらうこととした。これは好評ではあったが、筆者としてはどうも場当たり的なやり方だと感じていた。
ところが、その実績が新聞にのり、多くの反響を呼ぶ中から、隣町の河東町から「小中学校の国際教育を進める手伝いを頼めないか」というお声がかかった。これが、地域のニーズと直面する最初の転機となった。
現在、全校の小中学校では平成14年度からの新しい学習指導要領、そして総合的な学習の時間、インターネットの活用などの課題に直面していることは報道のとおりである。これにいち早く反応したのが河東町であった。当社では、6ヵ月の間、徹底したフィールドワークを行い、現場の先生方、教育委員会、財政担当と話し合いを重ね、「国際教育」「情報教育」「郷土理解教育」を3本柱とする河東町の学校教育国際化プランを取りまとめた。同時に、最も効果的なインターネット環境を提案した。幸い、町の理解を得ることができ、平成11年度から河東町でプランに添った学校教育が展開されることになった。もちろん、プランをまとめるに際しては、会津大学の先生方、地域の情報系ベンチャー企業から多くの助言を得た。そして、平成11年度から、学校現場へ当社のインストラクター(学生)を派遣し、現場の先生方と二人三脚での授業がはじまったのである。もちろん、インターネット環境は当社の提案に沿って整備されたので、渋滞無し、快速・快適なインターネットが利用できる。
この河東方式は、その後も順調に発展をとげ、今では福島県内でトップグループを走っており、多くの市町村から注目を浴びている。その結果、平成11年度には会津坂下町、平成12年度には会津若松市で、河東町と同じようなフィールドワーク(調査事業)を行うこととなった。「国際教育」であれ、「情報教育」であれ、基本的に必要なことは「目標」「基本方針」「カリキュラム」「教材」「人材」「学校環境」「費用負担」などについて、関係者の合意が形成されることであり、それを省いて直面する課題に対応するのでは、本当の効果は見えてこないのである。ここにフィールドワークの必要性、必然性があり、当社の関わる役割もある。そして、それをまとめるには当社だけでは不十分であり、大学の研究者、ベンチャー企業、地域の有識者などによるコンソーシアムが必要になる。ここに当社の存在意義を実感したのである。
その後、順調にクライアントは拡大し、現在は97の小中学校で河東方式による「国際教育」「情報教育」を展開している。しかし、市場の拡大は当社に3つの課題を与えた。
第1の課題は、インストラクターの確保である。当初の学生さんでは到底数が揃わないし、学生さんにはプロ意識の面で食い足らないところも多い。そこで、会津NPOセンターと提携して、緊急雇用対策を活用し、会津大学や市の施設で会津コミュニティカレッジ活動を展開した。一言で言えば、主婦や失業者を対象に120時間の特訓でインストラクターを養成する「学校」をはじめた。カリキュラムや教材は、会津大学の先生方やベンチャー企業と一緒に開発し、国際化10名、情報化20名で募集したところ、受講料無料、しかも修了後は小中学校での仕事が待っているというシステムなので、応募者殺到である。半年で40名近い受講者が出るが、歩留まりは70%程度(やはり修了できない人もいる)、就職率も60%を超える盛況である。
第2の課題は、インストラクターのスキルアップである。年々クライアントの小中学校のレベルが向上するので、コミュニティカレッジのレベルだけでは対応できない。そこで、インストラクターの再教育をこの秋からはじめた。1つはTOEFL450スコアメイクのコースでこれは国際化向け、1つはVLBプログラミングのコースでこれは情報化向け、いずれも持ち出しの事業であるが、クライアントに応えるには不可欠の事業である。
第3の課題は、「国際教育」「情報教育」以外の教育分野を開拓することである。総合的な学習の時間で求められる広範な需要に応えるには、会津大学以外の先生方とも連携する必要があり、第一弾としてこの夏、山形市の東北芸術工科大学総合研究センターと提携し、「環境」「ものづくり」「地域づくり」を取り組むこととした。現在は、これに加え、「福祉」「自然共生」などの分野で提携先を探している。
この3つの課題を解決し、平成14年度までにクライアントを今の37小中学校から100校へ拡大し、会津地域以外にも河東方式を広めるのが、現段階での目標である。
(3) 研究開発と「教育問題」の融合
とはいえ、当社では研究開発という当初の目標も引き続き追求している。ただし、それには地域のニーズと合致する、という条件を付けている。
会津地域では残念ながらベンチャー企業の数も質もまだまだ不足している。これを解決するには、やはり国の資金を導入する研究開発が必要であるが、それが単に仕事量を確保するという視点から追及されるのでは出口は見えてこない。きちんとしたニーズ、市場、クライアント=お客様が存在しなければ、ベンチャー企業特有の「自転車操業」の愚行を繰り返すことになる。
幸い、平成11年度で終了した2件の研究開発の1つは、ニーズが明確なプロジェクトであった。それは、情報教育用のソフトウェアを開発するシステムであり、それから生じるソフトウェアでは、コンピュータの内部作動環境が画像化されるため、学び手がコンピュータやソフトウェアの仕組みを理解できるという特性を備えている。このシステムを遠隔教育へ向けて2次開発することが現在の大きな仕事である。
インターネットの急速な普及、大衆化に伴い、遠隔教育の需要は急拡大するが、特に会津地域のような過疎地域、山間地では大きな可能性を秘めている。教える人がいない、教わるには遠すぎる、そんな悩みを解決するのが遠隔教育である。この新しい教育市場へベンチャー企業と一緒に挑戦する、それによって市場を確保することはもちろん、会津地域の多くの子供たち、家庭の主婦、お年寄りに新しい教育のチャンスを提供したいと考えている。
3. 今後の展望
さて、このような活動を2年強にわたり続けてきたが、会社として考えればようやく経営の基盤が見えてきた段階である。
市からの助成は、平成10年度1,500万、平成11年度950万、平成12年度650万と少なくなり、当社の計画を1年前倒しして、平成13年度からは全くの独立採算に移行する予定である。国をはじめ外部から獲得した資金も、あわせて4億円近くになり、その多くを会津地域のベンチャー企業へ提供してきた。さらに人員面でも、当初の常駐3名から、今では常駐4名、SOHO40名以上と50名近いスタッフを抱え、地域振興や雇用確保の面でも成果をあげてきたと自負している。
しかし、道はいまだ遠い。
1つには、会津地域における研究開発を支えるベンチャー企業がまだまだ少ない。従って、コンソーシアムを組む際に「いつも同じメンバーになる」という悩みが解消されていない。「いつも同じメンバー」では、多様性は実現されず、均質性の危険性から解き放たれない。これを解決する知恵が必要である。
昨年9月には会津ベンチャー共働機構(AVCO)を設立し、商工会議所異業種交流推進協議会、会津NPOセンター、SLS(学内食堂・売店経営企業)とともにセミナーの開催、SOHOの育成などを進めているが、それにとどまらず「投資」を通じたベンチャー支援に踏み切る時期を迎えている。地域の投資家と創業希望者を結びつけるエンジェルファンドのような仕組みである。
もう1つには、会津地域のデジタルディバイドをどう解決するか、この大きな地域課題である。これには、通信インフラの問題をはじめとして、当社やAVCOの力だけでは解決できないことが多く、好むと好まざるとに関わらず、行政やNTT、あるいは大手情報系企業と連携する仕組みが求められる。
幸い、昨今のITバブルのお蔭で風向きは追い風であるが、ITやデジタルディバイドの問題は、これまでのような組織的な考え方や進め方では、情報社会の本質を見失う可能性が高いため、当社やAVCOのような非組織的な存在の関わり方が問われることになる。
最後に行政との距離感がある。当社は、いわゆる第三セクターとしてスタートし、今でも51%の出資を市に仰いでいるが、これまでは行政と適度な距離感をもって運営してきた。それは、通常の第三セクターに見られる硬直性や形式主義などの問題を回避するためであり、「スピード」「ネットワーク」「顧客満足度」という当社の経営理念を維持するためである。これまでは市の予測を上回る経営実績をあげてきたため、適度な距離感が保たれてきたが、今後はデジタルディバイドをはじめ、地域課題と向き合う経営を続けていけば、早晩この距離感に変化の生じる可能性も否定できない。いわば、行政の下部機関、請負機関になる恐れである。
このため、現在、当社では平成13年度以降の経営方針、資本政策などを全般的に見直す作業に着手しており、その中で行政=大株主との距離感も議論されることとなる。
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