市民とごみ減量計画づくり
~ものを生かす心そだてて22年~

神奈川県本部/川崎市職員労働組合・清掃支部

 

1. はじめに

 いまや廃棄物が地球的規模の環境問題に大きな影響を及ぼしている。
 わが国の経済発展に伴い、廃棄物の増量と質的多様化は著しく進展し、消費者の「生活の利便性」と相俟って、大量生産・大量消費・大量廃棄社会へと進み、そのツケは環境の悪化と資源の枯渇という深刻な状況を生み出している。
 川崎市は、このレポートにある労働組合と市民が出会った1970年代後半から1980年代にかけて、毎日収集・混合収集・混合焼却を続け、清掃「日本一」を誇っていた。だが、1971年に東京で“ごみ戦争”が勃発したように、既に他都市ではごみ処理問題が表面化していた。たとえば、沼津市などではこれまでのごみ処理行政と変わって分別収集による減量化、資源化など様々な試みがなされるようになってきた。川崎市では、焼却場に搬入されるごみ処理ができていたので、全量収集・全量焼却という従来の処理行政を行うことができたのである。
 ところが、川崎市も、1990年6月にごみの増量により非常事態を宣言するに至り、従来のごみ処理方法の変革を余儀なくされ、環境保全・資源循環型の清掃事業を目指すことになった。その当時、ごみの排出量がこのまま推移していくと、将来、処理量を上回ってしまうことが予測されたためである。まさに川崎市は、清掃行政のトップランナーから、リサイクル行政においては、周回遅れのラストランナーになってしまったのである。
 1978年に市民団体が、川崎市の北部の多摩区(分区前)において、地域で働く人々や町会などに呼びかけて、南生田小学校を会場にリサイクルバザール「多摩の市」を開催した。使い捨てへの反省、資源の保全やごみ問題に関する住民としての役割など、多くの問題が提起された。この問題を地域の人々と共に考えていくために、引き続き取り組むことを確認し、1980年に第2回「多摩の市」を実行委員会形式で開いた。その後、この市民団体が、バザールに参加した団体や個人に呼びかけて、1981年に「多摩の市連絡会」が発足。1992年には「川崎・ごみを考える市民連絡会」が結成され、現在に至るまで活動を続けている。
 本稿は、これまでの取り組みを振り返りながら、その若干に総括を試みつつ、今後の活動に向けたいくつかの課題を整理したい。


多摩(麻)の市連絡会年表

1981年1月 連絡会結成の呼びかけ
1981年7月 多摩の市連絡会発足
多摩の市 81ミニバザール(37ヵ所で)開催
多摩の市 81大バザール三田小学校で開催
1982年2月 王禅寺清掃場見学会(35人)
6月 第1回多摩の市連賂会総会
7月 保谷市見学(2人)
町田リサイクル文化センター見学(8人)
1983年4月 夜光粗大ごみ処理場見学(9人)
7月 多摩の市 83バザール多摩区役所構内で開催
10月 第2回総会
1984年2月 橘清掃場見学会(11人)
9月 講演会「いま、使い捨てを考える-真の豊かさを求めて」
講師 槌田 劭(120人)
11月 第3回総会 分区により「多摩の市」を「多麻の市」と改称
1985年4月 臨港清掃場見学会(14人)
1986年3月 多麻の市 86リサイクル大バザール三田小学校で開催
6月 リサイクルセンター設置に関する請願を市議会に提出(署名数 20,989人) 同じく陳情を市長に提出
8~10月 市議会第五委員会(請願審査)を傍聴
12月 第4回総会
市議会全会一致請願を趣旨採択
1987年6月 ホタルの里連絡会に加盟
7月 清掃支部との話し合い(7人)
10月 清掃局との話し合い(6人)
12月 武蔵野市リサイクルセンター見学(11人)
1988年2月 第5回総会と講演会
 武蔵野市リサイクルセンター 露木穂積
6月 王禅寺清掃場と北部粗大ごみ処理事業所の見学と清掃支部との話し合い
7月 清掃局と話し合いと清掃支部との話し合い
8月 群馬県玉村町ごみリサイクル事業所見学
1989年4月 清掃局長との話し合い
1990年1月 東村山市リサイクル作業所「秋水苑」見学
6月 第6回総会と講演会
 ダイナックス都市環境研究所 山本耕平
7月 清掃局長との話し合い
1991年1月 清掃局との話し合い
 「大地のみどり展」共催
5月 清掃局長との話し合い
11月 第7回総会と講演会
 自治労中央執行委員 小畑嘉雄
1992年2月 清掃局長との話し合い
5月 川崎・ごみを考える市民連絡会設立総会

 

2. 多摩の市の開催について(1978年~1986年)

 1978年に、当時の生活クラブ生協多摩支部が、地域で働く人々(川崎水道労組、川崎交通労組、川崎市職労、全逓労組)や町会、市議会議員に呼びかけて開催したリサイクルバザールは、マスコミを賑わし、関わった人達がその反響の大きさに驚いたほど、画期的な大イベントとなった。
 70年代初頭は、国をあげて大量生産・大量消費・大量廃棄の高度経済成長政策が進められ、使い捨てがもてはやされる頃であった。私たちは、飽くことなく、より便利で豊かな生活を求め、地球の資源を使い続けていた。それは、高度経済成長時代に企業が推し進めてきた商品の大量生産により、使い捨てが美徳とされ、私たちの生活に深く浸透してしまったからである。
 その結果、資源の枯渇と、自然破壊の悪化を招き、大量消費のもたらす廃棄物の増大によりその処理に莫大なエネルギーと社会的な費用を浪費することとなった。このことを自ら反省し、ライフスタイルの転換と省資源ごみの滅量化をはかり、自分たちのまちを、住民自身の主体的な認識と行動により、住みよい地域にしていくことを考えてもらいたいという思いがあったのである。


「多摩の市83」開催の趣旨書

 私たちは、飽くことなく、より便利で豊かな生活を求め、地球の資源を限りなく使い続けてきました。しかし、資源は有限であり、ものを生産する過程では、多大のエネルギーを費やし、自然を破壊し、環境を汚染します。消費すればまた、廃棄の問題が生じます。この地球は、人間のみのものではなく、ましてや現代人のみのものでも、先進国のみのものでもありません。水・食糧・紙・衣料・木材など、繰り返し生産できる資源も浪費すれば、自然の生態系の中での均衡がくずれ、枯渇してしまうばかりでなく、災害や公害などが付随して起きてきます。
 私たちは、長い地球の歴史の中の一瞬を生きるものとして、資源を大切にすることの意味を考え、無駄を省き、ものを最大限に生かして大切に使い、耐久性のあるもの、再生できるものを選択して、捨てないですむような生活を推し進めていくべきでしょう。
 ごみを減らし、公害を防ぎ、住みよい地域社会を実現していく主人公は私たち自身であり、一人ひとりが自らの生活を見直し、責任をもたねばなりません。
 省資源、ごみ減量と市民自治を訴えて行った大型不用品大バザール「多摩の市」は、心ある市民の共感と賛同を得て、地域に定着しつつあります。4回目を迎え、「多摩の市」の主旨が、恒常的に生かされることを願い、新たな視点をもって広く市民に問題提起できるような試みをしてみたいと考えております。
 自然との調和の中で、人と人とのあたたかいふれあいがあり、心豊かな生活ができる地域を、ここに住む人たちの手でつくりあげていきたいという望みを託して、「多摩の市83」の開催に、多くの方々の積極的なご参加を呼びかけます。
   1983年6月4日                    多 摩 の 市 連 絡 会

代表幹事 鈴 木 弥 彦 ・ 星 野 輝 雄
事 務 局 生活クラブ生活協同組合多摩センター内 
TEL 954-0028

 

多摩の市の経過

3. リサイクルセンター設置に関する請願について(1986年)

 請願は、多摩の市の活動経過の中で自然に生まれてきた住民の素朴な発想による提案であった。子供の成長、家族構成の変化、転居などで、どうしても不用になったものを粗大ごみに出すしかない、という状況は絶えずあり、事実、粗大ごみも増えていた。また、学生や単身者など、それを利用したい人達が沢山いることも、リサイクルショップが結構利用されていることでわかった。こうしたことからも、大型不用品のストックヤード的な工場として、さらに、リサイクルネットワークの拠点として、リサイクルセンターの設置を望む声が出てきた。そして、多摩の市を単に大安売りといった催しに終わらせることなく、常時再利用できる機会をつくり、リサイクルを地域に定着させ、ものを大切にする心を育んでいきたい、という思いから、請願運動へと発展したのである。請願(1986年6月提出)は、この年の12月議会で趣旨採択された。
 川崎市は、これを受けて廃棄物の有効利用(再利用・再資源化・リサイクル)に関して全庁的に取り組むため、1987年6月に庁内関係局による調査・検討を開始し、市民の代表、リサイクル業者の参加による懇話会(川崎市廃棄物有効利用推進懇話会)を発足させ、リサイクル事業の方策について検討を開始した。


リサイクルセンター設置に関する請願

請願の要旨
1. 各過程で使用しなくなった大型品を、有効利用するためのストックヤードとし、併せて、資瀕として再利用できるものの再分別の場にもなるリサイクルセンターを、地域にひらかれたリサイクルネットワークの拠点として、また生き甲斐のある福祉を推進させるための作業所としても活用できる場として設置すること。
2. 上記リサイクルセンターの設置に向け、関係各局、及び、市民、リサイクル活動実施団体、関係労組、業者団体、学識専門家による連絡協議会を設け、具体的な計画と、施設の運用方法について検討していくこと。
 以上、請願いたします。
請願の理由
 経済効率が優先する社会で、市民も便利さ、かっこ良さを求める生活を捨て難く、資源の枯渇を防ぎ、自然破壊を保全するための特効薬は見当たらず、廃棄物処理の問題は、困難さを増すばかりです。
 豊かな自然の中で、安心して暮らせる社会を求めるなら、市民自身が生活を見直し、責任を分担していかねばなりません。こうした考えから、省資源、ごみ減量と、市民自治を訴えて行った「多摩の市」大バザールは、心ある市民の共感と賛同を得て、今回の5回目を迎えました。しかし、このような大バザールを、一部の有志、市民団体により、多大のエネルギーを費やして開催しつづけても、問題の本質的な解決は得られません。
 今もなお、住宅事情や首都への通勤通学圏として、移動の激しい地域性もあり、大型の不用品が生かされずに捨てられ、まだ使える粗大ごみも多いと聞いております。
 資源を有効に利用し、ごみを減らす手だてがあれば、市民もこれに協力し、ごみの適正処理により、焼却炉及び廃棄物最終処分場の延命にもなると考えます。また、高齢化社会を迎え、定年後の働く場を用意し、仕事に恵まれぬ身体障害者の職場を拓くことは、重要な課題となりましょう。
 物を大切にする心を育む受け皿を用意し、あたたかいふれあいと、くらし甲斐のある地域をつくりあげるために、市民生活優先の市政をめざす川崎市にこそ、ふさわしい施設であると考え、以上の通り請願する次第です。
   1986年6月13日

多摩の市86実行委員会
委員長 西 田 敏 雄
 ほか 20,989名

 


1986年6月13日

  川崎市長 伊 藤 三 郎 殿

多摩の市86実行委員会
委員長 西 田 敏 雄
事務局 生活クラブ麻生センター
電話(954)0028

リサイクルセンター設置に関する陳情

 「2001かわさきプラン」も第二期中期計画に入り、住みよい、いきいきとしたまちづくりを目指し、鋭意ご尽力のことと存じます。
 「多摩の市86」実行委員会は、過去4回の「多摩の市」の経験を生かし、この度、第5回のリサイクル大バザールを開催いたしました。川崎市におかれましても、毎回、ご後援をいただき、ご承知のことと存じますが、この「市」は、通常のバザーとは異なり、省資源、ごみ減量をはかり、自分たちの暮らし方を反省し、住民として責任ある生き方により、望ましいまちづくりをという趣旨を、市民に訴えてまいりました。
 お陰様をもちまして、毎回大盛況に終わり、市民の問に共感を呼び、少しずつ、その趣旨が浸透してきたように思われます。しかし、一方、掘り出し市の印象も強く、単発的に大きなエネルギーを費やして、大バザールを行ってみても、問題の本質的な解決は得られません。使い捨ての風潮は、やや収まり気味とはいえ、まだまだ、ファッションに釣られて買う傾向がみられ、住宅事情や、首都への通勤、通学圏として、移動の激しい地域性もあり、まだ使える大型の不用品が、随分と捨てられています。これをなんとか捨てずに活かして使い、物のいのちを全うさせたいものと、常設展示場をという声が、前から起きていました。そこで、今回、リサイクルセンターの設置を考え、市議会に下記のような請願を出すことにいたしました。
 常々、市民生活最優先をと考え、推進しておられることに敬意を表しておりますが、市民が地域の中で、日常的に自らの生活を見直し、資源の有効利用や、ごみの減量を通して、まちづくりを考えていく場をできるならば、生き甲斐ある川崎のまちづくりに明るい夢がひらけることになろうと存じます。何卒、「多摩の市86」に結集した私たちの思いと、署名に協力した多くの市民の意をお汲み取り下さいまして、以下の趣旨の実現に向け、ご配慮下さいますよう陳情いたします。

1. 各過程で使用しなくなった大型品を、有効利用するためのストックヤードとし、併せて、資源として再利用できるものの再分別の場にもなるリサイクルセンターを、地域にひらかれたリサイクルネットワークの拠点として、又、生き甲斐ある福祉を推進させるための作業所としても活用できる場として設置すること。
2. 上記リサイクルセンターの設置に向け、関係各局、及び、市民、リサイクル活動実施団体、関係労組、業者団体、学識専門家による連絡協議会を設け、具体的な計画と、施設の運用方法について検討していくこと。

 

4. ごみ問題懇談会の発足と「川崎・ごみを考える市民連絡会」の結成(1987年-1992年)

 1990年6月、清掃事業では「日本一」をはばからず、我が世の春を謳歌してきた川崎市も、急増するごみの処理に対応しきれず「ごみ非常事態宣言」を発し、ごみ滅量と再資源化のため、多くの施策に取り組むこととなった。
 1997年2月からは、週のうち1日は普通ごみを収集せず、資源物のみを収集する「資源物の日」を開始し、98年度末からはほぼ市内全域で実施するようになった。
 清掃支部は、環境保全・資源循環型のいわゆる分別・リサイクル型のごみ処理行政に大きく転換するためには、ごみを出す側と収集する側の協力が必要不可欠として、市民との「ごみ問題懇談会」を発足させた。
 懇談会には、市の南・中・北部の市民の方々に集まっていただき、支部からは四役・自治研部長・組織部長が出席した。この懇談会では、市民側と支部側から事務局を選出し、以下の3点について確認をした。そして、市民として92年度予算要求をまとめ、局に提出した。この懇談会は1年で終わったが、市民から「ようやく労働組合の方とこういう場をもてました。今後は、誰でも参加できるように多くの市民に呼びかけをし、継続的に懇談会を開催して欲しい」という意見が出され、「川崎・ごみを考える市民連絡会」の結成へと動きだした。


懇談会の進むべき方向の確認

1. 意見交換の場とし、政策課題論議していく。
2. 予算要求をまとめ、実現化へ向けて運動を進める。
3. 川崎市のごみ処理行政を分別・リサイクル型に変えていくために啓発運動を進め、ごみに関する各種イベントを企画する。

 


ごみ問題懇談会の92年度予算要求

1. PR、指導の徹底
 (1) 町会・自治会に属していない住民にも、積極的に指導すること。
 (2) 消費者センターヘも働きかけること。
 (3) 市民まつり、区民祭など人が多く集まる各種行事において、「ごみの分別・だし方」の指導・宣伝すること。
 (4) 分別収集の実施方法について、市民に分かるように広報・宣伝方法を検討し徹底させること。
 (5) 公園のごみに関しては管理事務所に指導し、公共の施設(場所)におけるごみの処理については行事責任者に対する指導を強化すること。
2. 分別収集の拡充
 (1) 空き瓶分別収集の実験モデル地区を多摩清掃管内に設け、その為のストックヤードを建設すること。
 (2) 実験結果は、必ず総括をして市民に分かるように報告し、次の計画に生かすこと。
 (3) 空き瓶分別収集計画を川崎全域で、3年以内に完全実施できるよう目標を定め、計画立案すること。
 (4) 地場回収業者を育成し、地域の回収業者、市民と協同してリサイクルシステムを確立すること。
 (5) 紙類の出し方を具体的(チラシ・雑誌・新聞)に指導し、集団回収の分別がリサイクルに生かされるよう協議の場(会議)を設けること。
3. 総合リサイクルセンター建設には、立案の段階から市民を参加させること。
4. 企業(生産・流通)の責任を追求すること。
 (1) 事業所系のごみの中に空き缶が多く混入されており分別を指導すること。
 (2) 駅構内から排出されるごみを分別して出すよう協力に指導すること。
 (3) 量販店におけるトレイの使用状況を綿密に調査し、公表・指導すること。
 (4) 産業廃棄物に対して、監視・規制を強めること。
5. 廃棄物研究所を設立し、市民も参加させること。
 (1) プラスチックの研究プラントを建設させること。
 (2) ベランダ用コンポストの開発。
6. 中長期的計画の策定や、各諮問機関に市民を参加させること。
  廃棄物研究所における研究結果を計画策定に生かし、市民と働く側とが継続的に協議し、実践に移していくよう連携をはかること。

 

5. 「川崎・ごみを考える市民連絡会」の結成、そしてその後の取り組み(1992年~現在)

 リサイクル社会の創造に向けた川崎市の清掃事業の転換を望む声が多いにもかかわらず、遅々として進まないことや、行政や企業に私たちの声がなかなか反映できないことの総括から、川崎市を南北に統一する全市的な運動体の必要性が出てきた。
 懇談会では、「川崎・ごみを考える市民連絡会」(以下、川崎ごみ連)の設立趣意書を作成し、全市的に呼びかけ、団体・個人を広く集めた。
 1992年5月19日、県の消費生活センターにおいて市議会議員、清掃局、各企業が来賓として出席し、設立総会が開催された。
 川崎ごみ連の特徴は、多くの市民団体が集まって構成されていることである。生活クラブ、生活学校、牛乳パックの再利用を考える連絡会、リサイクルをすすめる会など20数団体で構成されている。清掃支部も結成当時から参加し、運営委員を派遣し、月1回の定例会と年1回の総会を行ってきた。


こ れ ま で の 主 な 活 動

● 1994年と97年に、買い物ガイド「スーパー・生協/ごみ減量リサイクルチェック」「私たちが変わればお店が変わる」を発行。
  市民として、どうすればごみを減らすことができるのか。買い物の仕方(いわゆるグリーンコンシューマーになろうという呼びかけ)、販売店が店頭回収など環境に配慮した取り組みを行っているか、グループをつくり調査を行った。
● 1999年に「川崎発 ごみを出さない燃やさない市民プラン」を発行。
  2,500部印刷。このプラン作成は、97年に地球環境基金の助成交付が決まって作成にとりかかった。1997年から2年間、40回以上の見学会、15回の学習会・シンポジウムの開催、家庭ごみ発生源実態調査などを実施した。
  市民プランでは、川崎市のごみの現状と課題・問題点を「生ごみ・落ち葉・剪定技」「プラスチック」「紙」「布」「有害ごみ」の5つに分け、市民、事業者、市への提案をしている。
● 2000年3月に「やさしい生ごみ堆肥化のすすめ」という小冊子を発行。

 


川崎発 ごみを出さない燃やさない市民プラン」の目次

  第1章 市民プラン その1
   1-1 市民プランー特徴・コンセプト・早わかり-
   1-2 燃やさないで!生ごみ・落葉を堆肥に
   1-3 びん・缶・ペットボトル使い捨てていいの
   1-4 プラスチック処理は難問山積
   1-5 古紙はまちの森林資源
   1-6 生かしてますか 家庭の古着
   1-7 行き場のない有害ごみ
  第2章 市民プラン その2
   2-1 ダイオキシンを減らすために
   2-2 環境にやさしい「お祭り」
   2-3 ごみ出しはルールを守って正しく
   2-4 環境学習センターがほしい
   2-5 環境教育は子どもから大人まで
  第3章 市民プランに向けた調査、活動
   3-1 家庭ごみ発生源実態調査
   3-2 チャレンジ!ごみチェック
   3-3 ワークショップーごみダイエツトー
  第4章 全国の団体とのネットワーク
   4-1 グリーンコンシューマー全国ネットワーク
   4-2 グリーン購入ネットワーク
   4-3 デポジット法制定全国ネットワーク
   4-4 古紙問題市民行動ネットワーク
   4-5 リターナブルびんを見直しペットボトルをやめさせる会
  資料編
   ◎ ごみのゆくえ追跡隊が行く
   ◎ 川崎・ごみを考える市民連絡会年表
   ◎ 市民プラン 活動日誌
   ◎ 川崎市の資料から
   ◎ 見て歩る記・聞き歩る記
   参加団体紹介  ひとこと  おわりに (全142ページ)

 

6. おわりに

 清掃支部の住民、住民団体との付き合いは、1978年から現在に至る22年間続いている。「ものを大事にしない」「使い捨て」の風潮をいましめ、ごみ問題を住民に考えてもらおう、との主旨で集まった住民、住民団体、労組(清掃支部)、学識経験者の取り組みは、リサイクルセンターの設置や大量生産・大量消費の社会を変える動きを作り出してきたと思う。しかし、支部と住民の付き合いは、決して平坦な道程ではなかった。今でこそ環境保全・資源循環型の清掃事業を目指そう、と労働組合の運動方針に明記されているが、当時は「出てきたごみは収集し燃やせば良い」ということにつき、住民・住民団体の「ごみの収集・処理を資源の保護や環境保全の観点から見るべきだ」とする意見と折り合いがつかず、運動が分裂の危機を迎えたこともあったのである。
 また、ごみ減量=減車=合理化という図式が労働組合の意識として頑固なまでに残っており、自分をさらけ出し本音で話が出来なかった状況が続いた頃もあった。
 気の遠くなるほど遅々たる歩みの中での住民との22年の付き合いは、私たち(清掃支部)に大変な財産と教訓をもたらしたと思う。1996年、缶とびんの一括収集を実施しようとした行政に対し、一括混合収集ではびんの残渣が増えるということで反対とするごみ連と支部との連携は、行政の考え方を見直しさせるにいたった。
 21世紀ごみゼロ社会に向けて、廃棄物を巡って不十分ながら様々な法律が改正、成立してきているが、法律を守らせるだけの上意下達方式では、真の環境自治体づくりは望むべくもない。必要なのは、徹底した現場主義と地域住民との連携、そして話し合いの場づくりであり、これからも自治体改革闘争の一貫として共に取り組みを進めていきたい。