1. 西目屋村の現況
(1) 自然的条件
① 位置と地勢
本村は、津軽地域の西部(青森県中津軽郡)に位置し、西方は西津軽郡岩崎村、鰺ヶ沢町に接し、南方は秋田県、東北は弘前市、中津軽郡岩木町、相馬村と境を接している。
津軽地方の中心都市弘前市から16㎞のところに位置し、総面積は246.58㎞2、三方山に囲まれ全面積の94.4%(うち国有林86.4%)が林野によって占められており、耕地面積は非常に少ない。
村のほぼ中央を県道(主要地方道)岩崎・西目屋・弘前線と津軽穀倉地帯の主要水源となっている岩木川(1級河川)が流れており、その周辺に14の集落が散在している。
② 気候
本村は、細長い山峡の村であり気温は低い。夏は雨量が多く、冬は豪雪という裏日本気候を呈し、秋は早霜となり、11月から4月にかけて降雪がみられる。
目屋ダム管理事務所資料によると、平成11年の最高気温は37.4℃、最低気温は-12.0℃、年間平均気温は11.2℃、降水量は1,877㎜、最深積雪量は186㎝である。
(2) 歴史的条件
本村は、一般に目屋(メヤ)と呼ばれているが、目屋は昔「目谷」といわれ尾太(オップ)、長面(ナガオモテ)などの地名はアイヌ語の名残といわれている。
村に文化が入ったのは大同時代と推定され、現在の村市地区に大同2年(890年)に創られたといわれる木像2体と、これを納める鹿嶋神社が残っている。
慶長3年(1597年)に尾太金山が津軽為信公によって発掘されてからこの地域はようやく活気づき、最盛期には商町、旅籠町、山師町、吹屋町などおよそ10ヵ町が生まれ繁栄した。
明治に入り廃藩とともに尾太金山が一時中止となり、昔の隆盛も急激に凋落していった。
旧藩時代は、鼻和庄駒越組に属し、田代村、白沢村、大秋村、村市村、藤川村、居森平村、砂子瀬村、川原平村と称され、それぞれ庄屋ができ駒越組の管轄となった。
明治4年の廃藩置県以後は村用係がおかれ、ついで大区、小区制のもとに第三大区四小区津軽郡田代村となり、戸長役場が設けられ村の運営にあたった。
明治16年から田代村ほか8ヵ村に戸長を置き、村を統括し、戸長役場を田代村に建設し、明治22年市町村制の施工によって戸長制を廃止し、各村は大字に改められ中津軽郡の管轄に入り西目屋村となった。
戦後、昭和27年に尾太鉱山の再開により一時活況を呈した。昭和35年には目屋ダムが完成、この頃から産業構造の変化から、過疎化が始まり昭和46年に過疎地域対策緊急措置法の指定を受けた。昭和53年には尾太鉱山が閉山し過疎化に拍車がかかった。
昭和56年に暗門の滝が、赤石渓流暗門の滝県立自然公園の指定を受け、さらに、平成5年白神山地が世界自然遺産に登録され、観光産業の振興、整備が進められてきた。
平成5年11月に津軽ダム建設が公示され、砂子瀬・川原平の行政区が水没移転対象地域となっており、更なる人口の減少が予想されている。
(3) 社会的、経済的条件
① 人口及び世帯
本村の人口は、昭和35年国勢調査で5,346人(過去最高)が記録されているが、年々減少の傾向をたどり、平成7年には2,138人と最高時の半数に満たない数になっている。
過去、目屋ダム完成(昭和35年3月)や尾太鉱山閉山(昭和53年8月)を機に大幅に減少したが、その後も出生率の低下、都市的生活と就業機会を求める新卒者や若年層の転出に起因する人口減少が続いている。
② 土地利用
本村の面積は、24,658haである。そのうち農地は494ha(田260ha、畑234ha)とわずか2%にすぎず、総面積の94.4%が林野面積で占められている。
③ 産業
本村の産業を就業人口からみると、平成7年国勢調査では第一次産業が40.3%(うち農業40.1%)、第二次産業が29.3%、第三次産業が30.3%となっており、米とりんごを中心とした農業と林業、それに建設業が本村の主要産業となっている。
また、平成5年に白神山地が世界遺産に登録されてから、暗門の滝周辺を訪れる観光客が年々増加しており、観光産業が大きな伸びをみせている。
2. 白神山地の保護と活用
(1) 世界遺産登録までの経緯
青森県南西部と秋田県北西部の県境にまたがる白神山地は、面積が13万haとも言われ、その核心部には世界最大級の原生的なブナ林が残されている。標高が100mから1,200m余りの低い山地で、しかも歩道がほとんどないため、近年まではその登山利用は白神岳など極限られたものであった。しかし、昭和56年、林野庁が青秋林道(秋田県八森町から赤石川源流部を通って青森県西目屋村大川にぬける広域基幹林道)の事業計画を承認し、これに反対する運動が高まる中で、白神山地の名は広く知られるようになった。この林道問題は、平成2年、林野庁が白神山地の中核部を「森林生態系保護地域」に設定することで決着し、平成4年の環境庁による「自然環境保全地域」の指定、そして平成5年の世界遺産地域登録とつながってきた。
(2) 世界遺産地域の概要
白神山地世界遺産地域は、青森県西南部と秋田県北西部の県境にまたがる白神山地の中心部に位置し、面積は、16,971haとなっている。
地質は、主として中生代白亜紀にできた花崗岩類を基盤に、新生代第3紀中新世の堆積岩とそれを貫く貫入岩類で構成され、地形は、壮年期的な様相を呈し、岩木川、赤石川、奥入瀬川、笹内川、粕毛川などの河川が世界遺産地域を源流部として日本海に流れ下っている。
この地域には、従来からごく限られた範囲の地元住民による山菜採り等の伝統的利用がなされてきていたが、ほとんど手つかずの原生的なブナ林が広大な面積にわたり残され、世界遺産地域内は良好な渓相がよく保たれている。
① 区域に関係する町村
青森県西津軽郡鰺ヶ沢町、深浦町、岩崎村、中津軽郡西目屋村、秋田県山本郡藤里町
② 面積
全体面積 16,971ha
内青森県 12,627ha
秋田県 4,344ha
③ 土地所有
全域が林野庁所管の国有林野
④ 植物相
ブナの極相林が大部分を占めているが、渓流沿いなどではサワグルミやトチノキなどの林が、尾根部ではヒメコマツやミズナラがみられる。雪崩が多発する急斜面地には森林は発達せず、高茎植物の草原、又は匍匐した灌木林となっている。山頂部の風衝地では、一部でハイマツや高山植物の小さな群落も見られるが、チシマザサの草地か、ミヤマナラ、ダケカンバなどの低木林が大部分を占めている。白神山地では約500種の高等植物が確認されており、この中には、アオモリマンテマやツガルミセバヤ等の準地域固有種も含まれている。
⑤ 動物相
中大型哺乳類に関しては、東北地方に分布する中大型哺乳類16種のうち、非常に多い降雪量のため生息が困難なニホンジカ、イノシシを除く14種が生息している。この中にはニホンザル、ツキノワグマや天然記念物に指定されているニホンカモシカも含まれている。
鳥類についてみれば、天然記念物に指定されているイヌワシやクマゲラ、その他クマタカ、シノリガモ等貴重な種を含め84種の生息が確認されている。
昆虫類も豊富で、約2,000種の生息が確認されており、この中には分布上の北限又は南限となっているものもある。
⑥ 世界遺産地域のゾーニング
世界遺産地域は、特にすぐれた自然環境を有し原生に保護する核心地域(コアゾーン)の核心部への緩衝帯としての役割を果たす緩衝地域(バッファゾーン)に分けられ、その面積は次のとおりとなっている。
核心地域 10,139ha
緩衝地域 6,832ha
計 16,971ha
⑦ 地域指定制度等の概要
世界遺産地域に登録された区域には次の保護地域の指定がなされている
ア 白神山地自然環境保全地域 14,043ha
環境庁長官が自然環境保全法に基づき指定
イ 白神山地森林生態系保護地域 16,971ha
林野庁長官が国有林野経営管理規定に基づき設定
ウ 津軽国定公園 968ha
環境庁長官が自然公園法に基づき指定し青森県知事が管理
エ 赤石渓流暗門の滝県立自然公園 1,952ha
青森県知事が条例に基づき指定
オ きみまち坂藤里峡県立自然公園 8ha
秋田県知事が条例に基づき指定
(3) 白神山地世界遺産地域の保護と活用
① 白神山地世界遺産地域連絡会議と巡視員
白神山地の管理計画策定過程の平成7年7月に発足した連絡会議は、世界遺産地域の保全のため随時会議を開催し、相互の事業の情報交換、管理計画の細部運用の取り扱いの検討、協同事業の検討を行っている。その構成メンバーは次のとおりとなっている。
● 環境庁東北地区自然保護事務所(世界自然遺産生態管理官)
● 東北森林管理局(指導普及課長)
● 東北森林管理局青森分局(指導普及課長)
● 青森県(自然保護課長、林政課長)
● 青森県教育委員会(文化課長)
● 秋田県(自然保護課長、林政課長)
● 秋田県教育委員会(文化課長)
また、白神山地世界遺産地域巡視員は管理計画で位置づけられているボランティアで、東北森林管理局長、東北森林管理局青森分局長、青森県知事、秋田県知事がそれぞれ適任者を選定し、委嘱して、パトロール活動、教育活動をしている。
● 青森県側巡視員 31人(森林管理局委嘱 23人、青森県委嘱 8人)
● 秋田県側巡視員 31人(森林管理局委嘱 18人、青森県委嘱 17人)
② 核心地域への入山の取り扱い
核心地域への人の立ち入りにかかる規制の様態については、管理計画において「更に検討を進める」とされたことから、連絡会議の中に地元関係者、研究者、NGO、マスコミ関係者からなる「白神山地世界遺産地域懇話会」を設け平成9年3月までに秋田県側で2回、青森県側で4回懇話会を開催するとともに、青森・秋田両県の県民に対するアンケート調査を実施し、平成9年6月に「核心地域への入山の取り扱い」を決定し、同年7月1日より実施している。その概要は次のとおりとなっている。
● 登山については、既存の歩道に加え、青森県側に設定した27区間の「指定ルート」もできることとし、指定ルートを利用した登山については、許可を簡略化した手続きを行う。
● 学術研究、報道機関の取材など公共的な行為を行うための入山は、自然環境に影響のない範囲でできる。入山希望者は、別途法令などにより手続きが必要な場合は当該手続きを行った上で、入山希望箇所を管理する森林管理署長または森林管理センター署長に対し、具体的な内容を記載した「入林許可申請」手続きを行う。
入山の際は、適当であると判断された証として入林許可証を携帯し入山する。
③ 西目屋村の保護と活用
本村行政区内の世界遺産登録地内には、暗門の滝歩道、ブナ林散策道、自然観察歩道、これら3ルートの既存の歩道がある。入山に際し届出が不要なことから、年々入山者が増えている。
特に「暗門の滝歩道」については、世界遺産登録前に観光を目的として、森林管理署より貸付を受け村が整備を行ってきたが、登録後は自然保護団体より整備方法について指摘をうけ、歩道の整備もままならない状態となっていた。
平成11年に学識経験者(3名)、自然保護団体(2名)、有識者(1名)、地元関係者(5名)からなる「暗門の滝遊歩道検討会」が組織され、3回にわたる検討を重ね、暗門の滝歩道の整備・利用に関する今後の基本方針をまとめた。
本村としては、この基本方針に則り整備を進めることにしているが、保護・保全と活用という乖離した施策を同時に行わなくてはならないという、非常に難しい立場にあるといえる。
平成5年に白神山地が登録されて以来、本村内の既存のルートに入る登山者は年々増えつづけている。まず登山者の安全を確保しながら、さらに環境にできるだけ影響を与えない工法での整備を図るほか、緩衝地帯及び遺産登録地周辺に新たな歩道の整備をし、集中している登山者の分散を図りたいと考えている。
3. カヌーの取り組み
(1) カヌー取り組みまでの経緯
平成8年の初夏、村長室で今後の観光振興について打合せを行い、「白神山地を訪れる観光客は年々増えている。白神山地の山々だけではなく、白神山地を源流とする岩木川を利用できないものか。たとえば、舟や筏での川下りはできないものか。少し考えてみろ。」との命令が下された。当時は、施設整備等が盛んに行われ、多忙を極めていた時期であり、私自身もこの命令を忘れていたし、村長も忘れていた。
イベントに追われ、そろそろ雪がちらつき始めた晩秋のある日、村長室に呼ばれ、「前に話をした川下りの件は進んでいるのか。単なる舟や筏ではなく、カヌーで下ったらどうだ。すぐ検討しろ。」と再度の命令が下った。
早速、青森県体育協会に電話し、カヌーを行っている団体があるのか照会したところ、青森県カヌー協会より、運命的な出会いとなる山口繁春理事長が紹介された。
平成8年11月下旬小雪の舞う日に、岩木川第一発電所から田代の渡しまでのコースを検分してもらった。山口理事長は、「カヌーに適している。春に下って見ましょう。」との発言。これがカヌーに取り組んだ顛末である。
(2) カヌー大会の開催に向けて
即断・即決の村長であった。平成9年度当初予算にカヌー購入費が盛られ、6月から役場の若手職員、むろん職員組合の副執行委員長、書記長をはじめ組合員も借り出され、山口理事長の指導のもと講習会が行われた。当初、小学校のプールで練習したところ、保健の先生に不衛生であるとこっぴどく叱られた苦い思い出がある。
夏に入り、名坪平運動公園前の岩木川で練習するようになり、それなりに乗れるようになったときは、結構楽しいものだと思ったものである。それもつかの間、平成11年度の予算編成期に入り村長室に呼ばれ「カヌー大会を企画しろ。ただし、予算はできるだけ切り詰めて実施しろ。」との命令が下った。
カヌー大会開催に向け準備を始めたものの、すべてが初めてのこと、戸惑うことばかりであった。コースを整備するためには、「河川に重機を入れたい。ポールを設置するためにワイヤーを張りたい。」との要望を弘前土木事務所に要望するも、河川法上ではできない行為となっている。何度となく足を運び、理解を得ながらコースを整備し、大会を開催することができたのは、当時の担当者のおかげであったと、今でも感謝している。
また、大会経費捻出に頭を悩ませていたころ出会ったのが、青森スポーツクラブ森内美夫氏である。スポンサー集め、コマーシャル、ポスター製作等大車輪の活躍であった。
このように、たくさんの方々の協力を得て、第1回白神カップカヌー大会が開催されたのであった。
(3) 西目屋村とカヌー
大会も成功裏に終わり、カヌーの熱が覚めやらぬ時、白神カヌークラブが結成され、村内外から40名に近い会員が集まった。ここで、会長に就任した三浦敬二氏、山口繁春氏等とクラブの方向性についてじっくりと話し合い、「大人が集まり趣味のクラブを目指せば、何年ももたないだろう。やる以上は競技を目指し、選手の育成を主眼においた活動を展開しよう。」との結論に達し、底辺の拡大、特に子ども達の育成に主眼をおいた活動を展開してきている。
平成11年度の統一地方選挙で、本村も首長が交代し、一時、大会開催も危ぶまれたものの、現西川村長から「今年は青森県のスポーツ立県宣言の年であり、本村でもカヌーに係る事業が予定されている。予算の不足は補正で認めるので頑張ってもらいたい。」と理解が示され、第2回白神カップカヌー大会、ジャパンカップカヌー大会を開催し、カヌーの村として全国に発信し始めた。
平成12年度に入り、カヌー事業の担当は書記長の三上博文に移り、第3回白神カップカヌー大会、ワイルドウォータージャパンカップ大会を開催したほか、カヌー教室も開催してきている。
今後は、白神山地を訪れた人々が、気軽にカヌー体験をすることができる体制づくりをしていきたいと考えている。
4. 自然との共生を目指して
今回は、西目屋村の現況と白神山地の保護と活用については、あくまでも客観的な記述に努め、カヌーの取り組みについては、筆者の主観を含めながらカヌ-の取り組みをご理解いただけるように筆を進めてきた。まとめとして、これからの西目屋村がどのように進むのか、私見ではあるが少し述べてみたい。
西目屋村の住民は、山からは山の幸を、川からは川の幸を享受してきた。必要以上に収穫することもなく、また、山や川を荒らすことなく、いわゆる自然と共生してきたのである。
白神山地が世界遺産に登録され、入山規制がなされたときも、「入れない場所に無理して入らなくても、外の場所にいけばなんとかなる。」という意見も出されている。1年のうち半年以上雪に埋もれる白神山地、安直な入山を許さない険しい山並みを知る村民から出る言葉は、重みを感じる。
自然のままがベストだという人、環境を保全するためには人を入れない方が良いという人、折角の遺産登録地なのでせめて緩衝地帯に入れるようにしてもらいたいという人等々、様々な意見が出されている。その大半はその地域に住む住民のことなど、何も考えていない発言が多いように思われる。
西目屋村は青森県で最も人口の少ない過疎の村である。基幹産業である農業の伸びはあまり期待できない。このことから観光産業を中心とした産業の再編整備を進め、村の振興を図ることが必要である。とはいえ、商業主義一辺倒の観光産業の振興は環境破壊を生むことになりかねない。そこで、いままで培ってきた「自然との共生」を生かした観光産業を創造していきたいと考えている。
|