住民ニーズにこたえる行政サービスの確立を目指して
―「ごみ」に光を! 「食」に愛を! 「まち」に夢を! ―

栃木県本部/宇都宮市現業職員労働組合

 

1. まず、市民の声を聞くところから始めたい!

 私たちは、1995年の定期大会(当時は、宇都宮市職員労働組合の補助機関としての宇都宮市職員現業評議会)において、「住民ニーズにこたえる行政サービスの確立を目指して ― 宇都宮市の現業職場のあり方 ―」という24ページにわたる新しい運動方針を、1年間の検討委員会の議論を踏まえて決定してきました。
 あたりまえのことですが「住民のニーズ」にこたえるためには、「住民の声」を聞くところから始めなければなりません。しかし、長い間「鎖国」状態のまま運動を進めてきた労働組合にとって、「住民の声」を聞くということに対する「恐怖感」は大きく、動き始めるまでには時間がかかりました。
 1998年12月、組織をより強化するために宇都宮市職員労働組合から独立し、宇都宮市現業職員労働組合として自治労に新規加盟しました。そして、机の上や頭の中で考え、会議だけを繰り返し執行部が自己満足しているような今までの運動から脱却し、自らの運動に対しての責任の重さを感じるとともに、歩きながら考える運動へと方向を転換してきました。
 独立直後の99春闘時に、全組合員に「商品券(5,000円)」を配布した「景気浮揚対策」は、自治労の仲間だけでなく、各方面から「賛否両論」多くの意見をいただきましたが、逆に、執行部としては過去の運動にとらわれずに、腹を括ってふんぎるためにも大きなポイントとなる取り組みとなりました。この時期から、マスコミや市議会(会派を越えて)そして、市民団体の方々とも積極的に話をする場を設けるように努力してきました。
 しかし、私たちは1つの職種の職員で構成している労働組合ではないため、あらゆる行政課題に対しての「住民の声」を聞かなければなりません。当然、「現業職員だから」といった甘えは許されませんし、中途半端な受け答えをするわけにもいきません。私たちが「労働組合」として相対しても、市民からは「行政側」としてしか映っていない面もあり、私たちのスタンスを常に明確にしておかなければなりませんし、たとえどんなに「厳しい声」に対しても、正面から受け止めるだけの覚悟も必要です。
 大袈裟に言えば、「市民と行政の間に入り、お互いの言い分を翻訳する役割を担いたい」といった意気込みで、思い切って一歩を踏み出しました。

2. 「ごみ」に光を!

 数ある行政課題の中から、まず私たちが手をつけたのが「ごみ問題」です。宇都宮市自体も、分別の徹底・減量化・新清掃工場及び最終処分場建設・RDF等多くの課題を抱えており、私たち労働組合としても、収集業務の官民比率・新清掃工場の運営等に関する労働条件の問題だけでなく、分別の問題などは、業務に直接かかわる課題でもあり、こちらから市民にお願いする部分も含めて、扱いやすいテーマであると簡単に考えていました。
 1999年5月30日に「うつのみやごみ『0』シンポジウム99」を開催し、同年9月25日に第2回、2000年2月19日に第3回、5月30日に第4回を開催してきました。
 回を重ねるたびに参加者数も増え、いろんな市民運動をしている人との接点もできました。また、市長や市議会の正副議長を始め、会派を越えて多くの議員の方々にも熱心に参加いただきましたし、地元新聞やNHKの首都圏ニュース等でも取り上げてもらい、高い評価を得ています。
 しかし、主催する側としての悩みも回を重ねるごとに大きくなり、テーマの絞り込みや講師の選定、報告集の作成等の物理的な課題だけでなく、参加する市民の意識も高いため、「法や制度の問題」についても「付け焼き刃」では済まなくなってくる辛さもありますし、投げかけられた疑問には必ず返さなければならないというプレッシャーは結構大きく圧し掛かってきます。
 また、実際にごみの細分別や減量に取り組みながら、清掃工場や処分場・RDF施設の建設に反対している市民の言い分と、「ごみ0社会」を目指しながらも、目の前に溢れているごみを処理・処分するために、当面は施設を建設しなければならない行政の立場がわかればわかるほど、「間に入って翻訳をする」などと大それたことを夢見ていた考えの甘さを痛感し、恥ずかしく思っています。「わがままな市民と無責任な行政」の間に入る限りは、自分たちの主張も堂々とすべきだと開き直らざるを得ません。

3. 石を投げたつもりはなかった「2名乗車の要求書」

 「ごみ『0』シンポジウム」を定期的に開催しながら、一方では、当局と現場の組合員が一緒になって「効率的なごみ収集業務を考える研究会」を設置し、検討を重ねてきました。
 現場の職員が、事業の企画・立案の時点から参画するシステムは、過去にも例のないことで戸惑いもありましたが、管理職や行政職員と一緒に住民説明会に参加したりしながら、市民の声を聞き、自分たちの仕事を自分たちで見つめ直す作業を繰り返し行ってきました。その結果、声として出てきたのが「収集車の3名乗車を2名に減らして人員を生み出し、独居老人や障害者宅への戸別収集やペットボトル・発泡スチロールの分別収集、公的施設の生ごみの堆肥化等の新たな業務を行うと同時に、行政サービスの公平性を求め定曜日収集(祝祭日収集)を実施する」といった要求でした。
 決して、自治労が長い闘いの歴史の中で勝ち取ってきた「3名乗車」を覆すつもりはありません。自治体の財政状況が厳しい中、官民のコスト比較はより強まってきています。その反面、市民のニーズは多様化し、従来の「お役所仕事と悪評の高い縦割り行政」の中では、対応できなくなってきています。全国の自治労の仲間、特に現業評・清掃部会の皆さんに多大なご迷惑をおかけした点については謝罪いたしますが、私たちの取り組みが間違っているとは思っていませんし、必ず「花開く」と信じています。

4. 「食」に愛を!

 次に、私たちは「食」を課題として取り上げました。
 学校給食については、1997年に労働組合が主導した形で、市民団体としての「うつのみや市の学校給食を考える会」を設立し、「学校給食フェア」「親子料理教室」「講演会・学習会」等を定期的に開催してきました。しかし、学校給食調理員の中に「考える会は労働組合の補助機関で、民間委託に反対するための組織」といった意識が強く、今は「労働組合色」を払拭するために「考える会」との距離を置くように努めてきています。
 また、調理員独自の取り組みとしては「防災対策」があります。災害時に公的施設は一時避難所となります。非常食のストック等ハード的な問題はもちろん、実効ある対策を確立するために、勤務地ではなく自宅に近い学校へ駆けつける連絡網を作成し、休日を利用しての非常呼集等も考えています。
 昨年の9月、教育委員会の管理職との立ち話の中で、「市民マラソン大会の中で提供している豚汁(業者に委託)が、財政的な問題で出せなくなってしまいそうだ」という悩みを打ち明けられました。早速機関会議の中で議論し、労働組合としてではなく、学校給食調理員の有志によるボランティアで引き受けることを決定してきました。ボランティアの中身は、野菜の提供、荷物やなべの運搬、前日の仕込み、当日の調理と配膳等、各自ができる範囲での協力をお願いしました。材料の中での不足分については労働組合で負担し、大好評のうちに3,000食の豚汁がランナーだけでなく、その家族や関係者の胃袋に収まりました。これを機会にいろんな角度や立場から、市の行事に対しても積極的に関わっていければと思っています。

5. 石を投げるつもりはありませんが「宅配弁当サービスの提言」

 今年の8月5日、保育園・障害児通園施設・小学校・老人ホームの給食調理員が中心となって、「見て、聞いて、食べてみながら、考えてみよう『食』」と題し「食の宮まつり」を開催しました。
 各職場の実態報告から始まり、ちびっこコーナーではゲームや手作りのおみやげを保育園の仲間が担当し、お年寄りのコーナーではお茶を用意して老人ホームの仲間が接待し、実食コーナーでは各施設の給食をバイキング方式で食べてもらいました。午後は、民間保育園の園長、有機農法を実践している会の代表、衆議院議員を招いてパネルディスカッションを行いました。
 この「食の宮まつり」の中で、「食」の大切さをさまざまな角度から見つめ直してみました。その上で、独居老人や障害者への「宅配弁当サービス(土曜日の昼食限定)」を提案しました。市内をいくつかのブロックに分け拠点の小学校を設定し、ブロック内の小学校の調理員が交代で出勤して弁当を作り配達し、その分は児童の夏休み等に振り替えで休むことによって人件費をかけないという試みです。さらに、土曜日は閉庁日ですので公用車は空いています。つまり、ガソリン代と材料費だけで提供できると考えたわけです。
 「土曜閉庁・週休2日制に逆行する」とお叱りをいただくかもしれませんが、介護保険制度が導入され、在宅福祉が基本だと言われている中、それなら縦・横・斜めからの網の掛け方を考えるべきではないかと思っています。

6. 「まち」に夢を!

 私たちは、「ごみ」と「食」だけでなく、もっとあらゆる課題に対して目を向けるために、市職労との共闘組織である宇都宮市労働組合会議主催による「宮発:21シンポジウム」も開催してきました。
 第1回目は、パネラーに宇都宮市長、学識経験者、公募による市民2名を招き「めざせ! 3,300分の№1!」と題して4月22日に行い、翌5月28日には、多発する少年犯罪に対しての大人や社会の責任を考えようと「SOSが聞こえますか? ― 硝子の心が壊れる前に ―」と題し、自立援助ホームの所長、前小学校長、精神科医をパネラーに招いて開催してきました。なお、10月7日には第3回目として「介護保険制度」を取り上げる予定です。

7. 「自治研集会 ― 宇都宮版 ―」の開催に向けて

 私たちは「住民共闘」という言葉が嫌いです。「市民との協働作業」という言葉も好きではありません。労働組合が行政と同じように「どこか一段上から見下ろしている」ような感覚でいるとすれば、市民は決して一緒に知恵を出し合おうなんて考えないでしょう。
 将来的には、この間の「ごみ」や「食」の問題も、「宮発:21シンポジウム」の中に吸収し、それ自体も宇都宮市労働組合会議が主催するのではなく、「宮発:21」という市民グループを作り、労働組合は財政的な部分は対応するにしても、そのグループに運営等すべてを委ねることができればと思っています。そのグループも課題ごとに自由にいろんな人が集まり議論をし、1年に1回か2年に1回大きな集会を持って報告し合い、宇都宮市に対しての提言もまとめることができればと思っています。
 私たちは、家に帰れば自治体の住民です。仕事中は当然自治体の職員であり労働者です。一つの物事を多方面から見ることができるはずです。さらに、労働組合という組識には、その自治体で働くあらゆるセクションの職員が集まってきます。縦で割れている行政組織の中で横につながっていけるのは労働組合だけではないでしょうか。行政のプロとしてだけでなく、立場を変え、目線を同じ高さにした時に見える現実に、目をそらしてはならないと思います。「わがままな市民」の言い分に対してできない理由を探し、より難しい言葉で説明するから「無責任な行政」と言われるのではないでしょうか。
 私たちは、本当におっかなびっくり踏み出しました。しかし、何回かいろんな取り組みをして気づいたのは、市民と相対する時に、飾ったり、かっこつけたりしなければわかりあえるということです。納得できなくてもお互いの主張は理解できるということです。誰もが自分が住んでいる「まち」を愛していることに違いはないはずです。「まち」をつくるのは市民一人ひとりであり、私たちもその1人であるということを忘れないでいたいと思います。