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1. 廃棄物関連の法整備 深刻なごみ問題と地球環境を守ろうとする動きが世界的に叫ばれるなか、日本は1990年代に入りようやく法整備にとりかかる。1991年10月施行のリサイクル法(再生資源の利用の促進に関する法律)をはじめ、1993年4月施行、廃棄物処理法(廃棄物の処理及び清掃に関する法律)の改正。同年6月、省エネ・リサイクル支援法(エネルギー等の使用の合理化及び再生資源の利用に関する事業活動の促進に関する臨時的措置法)。同年11月、環境基本法の施行。1994年12月には環境基本計画の策定。そして、日本中の住民や行政に大きな影響を与えた容器包装リサイクル法(容器包装に係る分別収集及び再商品化の促進に関する法律)が1997年4月に本格施行された。 2. 資源循環型社会に向けて 容器包装リサイクル法は、産業界との綱引きや法律制定におけるプロセスから指定11品目のうち第1次は空缶・空きびん・ペットボトル・紙パックの4品目に限定した形でスタートをきることになった。しかも、経過期間を設けられたため自治体ごとに開始時期や品目が違うといった現象を生み出した。隣の町では資源ごみとして分けることになっているものが、こちらでは不燃ごみで出せばよいという状況であった。ただし、ほぼ施行から3年間で全国的となり今では4品目が資源ごみ(ところによっては呼び方が違う)として定着した。 3. リサイクルプラザ直営化の闘い われわれ城南衛生管理組合は、し尿処理を中心として設立されたが管内人口の増加と生活の多様化に伴い、ごみの増加に対応したごみ焼却処分処理へと移った。工場建設や埋立て処分地の確保が計画的に行われ、その時代に応じた適切な処理(京都府下では先進的な処理)ができたといえる。もちろん、労働組合とすれば工場建設や新規事業は職場獲得の最大のチャンスとして、「直営堅持」をスローガンに闘いを進め、人員体制などでははその目的をほぼ達成できたといえる。 4. 処理実績 資源ごみの処理の状況は下記の表の通りとなった。 5. 資源ごみ分別への現場の声 2転3転したリサイクルプラザの体制は、直営職員8名と障害者を雇用している企業への委託という形で落ち着き、1998年10月から試行運転に入る。1999年2月に竣工を向かえ1年を経過したが、住民から集められてくる資源ごみの分別が非常に粗雑で、理想と現実のギャップに現場は困惑した。 6. 障害者雇用と共に働く リサイクルプラザは資源ごみを再商品化する目的と、もう一方で障害者雇用の立場として導入することとなった。当局は「福祉工場」として計画をすすめたが、途中で高齢者の雇用職場と方針が変更された。「福祉工場」であれば運営に補助金があり、また障害者を直接雇用できることから労組としても期待をしていたが、計画途中におけるあまりにも短絡的な方針変更であった。つまり、高齢者雇用といっても将来を見こした再雇用ではなく、シルバー人材センターに委託をするだけの安易なものであった。 7. リサイクル工房は住民啓発 リサイクルプラザでは、住民に環境問題や資源ごみについて啓発する施設「リサイクル工房」の併設が条件であったため、労組としてもできるだけ住民に開いた有意義な工房にするように、リサイクル小委員会で実際の担当者も含めて他団体の視察を行った。予算や体制の面がありすべて満足した内容でスタートは切れなかった。 8. リサイクルの今後の展望 循環型社会をすすめる目的で、2000年4月から容器包装リサイクル法第2次(完全施行)が始まった。ただしこれも、自治体ごとに取り組みが違い、衛管管内ではトレーと発泡スチロール・段ボールを2001年4月から分別回収することになっている。(段ボールは集団回収)その他のプラスチック容器やその他紙製容器は資源化の方法に決定的な有効手段が確定できないことや収集体制の問題で見送られた。法律が施行されても実行しない、また実施しなくてもよいという状況は環境行政の立場から、大きなマイナスである。日本全体で統一的にごみの減量やリサイクル推進を目指すものでないと住民に対する啓発も弱く、説得力にかける。 9. さいごに 環境問題に対する制度や法律が整備され、循環型社会が形成されようとしているが、先に述べたように表面的に判断せず、その背景や問題点を明らかにし実施段階で課題を検討する必要がある。われわれ、城南衛管労組も容器包装リサイクル法の初期段階では成果を上げられたが、今後もさらにさまざまな取り組みが実行されようとしているなかで、正しい情報と目的を明確にし、環境行政を支える労働組合として精一杯役割を果たしていきたい。 |