1. はじめに
1990年3月、尼崎市で人工呼吸器をつけた4歳の女の子、平本歩さんが在宅生活を始めました。在宅を始めるにあたり、歩さんの在宅は単に家で暮らすことを求めるだけでなく、人工呼吸器をつけていてもどんな障害があっても一人の子供として当たり前に地域で共に生きることの実践であるという両親の思いが尼崎市職員労働組合に伝えられ、支援の要請がありました。
これに応えて、市職労は市民・医療関係者・保健福祉関係者にも呼び掛け、1990年3月31日「人工呼吸器をつけた子の在宅を支える会(通称なのはなの会)」を発足させました。以降今日までの10年間、単に歩さんの在宅に関わるというだけではなく、人工呼吸器をつけた子供たちの在宅を支援しノーマライゼーションの推進を図ることを目的に活動を行ってきました。
2. 日常生活を支えるボランティアとして
在宅で呼吸器を付けた子など見たこともない私たちは、「支える」と言っても何をしたらいいのかさえ分からず、とりあえず週1回訪問して何ができるのか考える所から始めることにしました。
訪問を重ねるうちに気がついたのは、私たちの中にあった「人工呼吸器をつけた子」に対する偏見でした。「こんな大変な状態にある子に何がしてあげられるのだろう」などという思いは、当たり前に地域の保育所に通い、泣き、笑い、わがままをいう歩さんと接するなかで吹き飛び、一人の子供としてではなく「大変な障害のある特別な子」という色眼鏡で見ていたのは私達自身であったことに気づかされたのです。そうなると話は早く、行けばいつも遊び相手を求めている歩さんといっしょに遊び、入浴介助をし、本を読み、親以外の信頼できる大人として人間関係を結んでいきました。
人間関係を結んで行くなかで突きつけられたのは、医療的ケアの問題でした。気管切開をしてカニューレを挿管し呼吸器を使用している歩さんは、頻繁に気管内吸引が必要で、これができないと彼女が吸引を求めるたびに両親どちらかを呼ばないといけません。関わりの中で、歩さん本人が一人ひとり指名して吸引を求めるに至り、自分自身が医療的ケアをするのかどうかの判断を迫られました。支える会として、看護婦さんによる講習を行い、きちんとした知識を持ち決められた方法で行う医療的ケアは医師法17条にいう医療行為ではなく日常生活行為であるとの認識を持ち、最初の思い切りは必要でしたが一人、また一人と医療的ケアができるようになっていきました。
医療的ケアができるようになると在宅支援活動にも幅ができ、両親のどちらかが不在の時の泊まり込み介護、親抜きでの外出や支える会会員宅でのお泊まり会など、親と離れる機会の極端に少ない歩さんの精神的自立を図る取り組みも行えるようになってきました。
こうして、現在も週2回ローテーションを組んでの歩さん宅通いと時には外出・外泊を行うといった形が続いています。
3. 医療的ケアの問題の社会化の取り組み
「医療的ケア」は、支える会発足当初から「資格のないボランティアが行ってもいいのか」など素朴な疑問もあり、医療行為は医師しか行えないとする医師法17条の規定との関係もあり議論のあったところですが、保育・教育の問題においても「保育士・教師が医療的ケアをすることは是か非か(多くの場合非とされ、だから受け入れできない、もし受け入れるなら親の付添いが条件とされる)」という形でネックとなっており、人工呼吸器をつけた子の在宅生活を考えていく上で避けて通れない最重要課題として当初から様々な社会化のための取り組みを行ってきました。
具体的には、医療的ケアの問題を医療サイド・法律サイド・教育サイドそれぞれの視点から先進的に取り組んでおられる医師・弁護士・大学教授らを招いて10年で11回の講演会を市職労との共催で行いました。講演の内容は冊子にして配付し、定期的にニュースも発行しています。
その中で明らかになってきたのは、医療的ケアの問題はそれを必要とする人にとっては人権そのものの問題であり、日常的に繰り返し必要な医療的ケアを医師・看護婦・家族しかしてはいけないと狭く解釈することは在宅生活の継続を不可能にしかねないということです。
信頼関係を前提として成り立つ保育や教育の場では、保育・教育の一環として保育士・教師が医療的ケアを行うことが最善であると私たちは考えています。もちろん、そのための体制が整えられ十分な研修が行われることは必要ですが、医療的ケアを行うことで子の側の信頼感は確立され、子の健康状態や精神状態のより深い理解が可能となると思われます。「関係性が専門性を凌駕する」。ある講演会のなかで医師から出た言葉です。日常生活のなかで普通に見られること ― 例えば、自分の子供の体調がいいかどうかは医師よりも親のほうが的確に判断できるといった ― と同じで、医療的ケア全般は医師でないとできなくとも、この子のケアはこの子に日常的に関わっている人のほうが的確にできる、ということです。
歩さんの場合、在宅を始めると同時に入所した保育園(法人保育所。市立保育所は受入れを拒否)では積極的に医療的ケアに取り組んでくれ、入所3ヵ月もすると親の付添いなしで(緊急時にそなえ自宅待機)保育所生活を送りたくさんの友達をつくることができました。しかし、小学校・中学校では教師は医療的ケアはできないため親の付添いが条件とされ、親が付き添い続けることで周囲の子供たちのなかにも「特別な子」という意識ができてしまい対等な人間関係を結ぶことができないまま今日に至っています。
社会的には、医療的ケアの問題は新聞等でも大きく取り上げられるようになり、養護学校の中などでは生活行為として既に実践が積み重ねられている所もあります。介護保険の中でも、ホームヘルパーが医療的ケアを行えないとされていることが社会的に問題となるなど、医療的ケアの問題は生活の問題だという視点が広がってきています。今後も取り組みを続け、医療的ケアを必要とする人の生活権の確立を図ります。
4. 学校での親の付添いをなくすための取り組み
小学校入学に際し、市教育委員会は「本来は養護学校訪問教育の対象。地域の小学校で受入れをするなら親の付添いが条件」との姿勢を崩さず、歩さんの教育の場を地域の学校に確保することを優先して、親が付き添う形で学校生活をスタートさせました。しかし、親が付き添わなければ学校に行けないということには多くの問題があります。①親が病気で寝込むなどすれば子は学校に行けない ― 教育を受ける権利の侵害、②親が付き添うことで、子供自身の精神的自立が阻まれる。周囲の子供に「親が付き添ってくる特別な子」という意識が定着し疎外される。 ― 共生関係の阻害、③親にとっては学校に付き添うことで24時間ケアとなり、疲労のため危険度の最も高い夜間眠り込んでしまうなど安全性が低下する、などです。
入学以降、何度も市教委と交渉を重ね、1993年8月には「親の付添いを必要としない条件整備に向けて努力する」との確認をしたにもかかわらず、「医療的ケアは含まれていない」「入学時の合意がある」などと後になって開き直り、市教委は体制を整える努力をしようとしません。これに対し、連続講演会を行い世論に訴えると共に、1994年2月からは第1・第3土曜日学校に親に代わって支える会のメンバー(気管内吸引・カニューレ交換・心肺蘇生ができ親が認める人)が付添い「医療的ケアは親でなくてもしようとしさえすればできる」ことを現場で実践的にアピールしています。
現在中学3年生で、義務教育はまもなく終わろうとしていますが、付添い問題は解決していません。しかしながら、3年生になってから担任の教師を中心に、医療的ケアに少しずつ取り組み始め、1学期の終わり頃に何度か親の自宅待機を試行するなど現場は動きはじめており、この動きを支え体制を整えていくためのより強い運動が求められます。
5. 人工呼吸器をつけた子の生活の幅を広げる取り組み
歩さんほど行動範囲の広い子供はめったにいません。飛行機で北海道から沖縄まで、全国各地へ新幹線・在来線で ― 。障害者の利用を阻害するシステムをしっかり作り上げている交通機関との交渉を繰り返しながら歩さんと両親が行動する多くの場面に支える会のメンバーは行動を共にしてきました。
そして、1994年には「バクバクっ子の立山登山・人工呼吸器をつけた子と共に立山へ」を各地のメンバーと共に企画し、人工呼吸器をつけた子7人・車椅子の子1人・サポーター94人の総勢102人で立山に登り、呼吸器をつけていたっていろんなことに挑戦できる、とアピールしました。
1996年からは毎年3月に何人かの人工呼吸器をつけた子と一緒にスキーに行き(もちろん呼吸器をつけた子も特製のそりですべります)楽しみの範囲を広げています。
そんな世間の驚くようなことばかりではなく、日頃外出の機会が少ない子にも外の空気を吸っていろんな人と交流する機会を持ってもらおうと、年1~2回近郊でバーベキューを行っています。
6. 啓発・相談活動
福祉・保健の制度がわかりにくい、役所の窓口できちんと対応してもらえないなどといった当事者の声に少しでも応えていこうと、昨年から「人工呼吸器をつけた子供たちのための福祉・保健なんでも電話相談」を週1回2時間保健婦・ケースワーカーのメンバーで行っています。また、人工呼吸器をつけた子の親の会の機関紙に福祉の制度の解説記事をのせるなど少しでも制度を使いこなしてもらう手助けをしようと模索中です。
7. 今後の方向性 ― 在宅支援から自立支援へ ―
4歳で在宅を始めた歩さんも10年経つと14歳、中学3年生になり、高校受験が目前に迫っています。他の呼吸器をつけた子供たちも、それぞれ進学や卒業後の生活を考える時期を迎えています。
障害があることで、どうしても親への依存度が高くなり、自分のことを自分で決めることのできるはずの年齢に達しても決定は親に任せてしまう、自分のしたいことを実現するための努力もしているのは親、といった状況が生まれがちです。実際の自立はまだ先のことですが、自分で考え自己決定し自分で努力もし交渉もする、といった力は、一朝一夕でできるものではありません。これまでの取り組みは、歩さん本人のためと言いながら、実は親の介護負担の軽減としての意味合いも強く、今後は親を支えるのではなく、本人の自己決定・自己実現のため本人を支えるという形に変えていく、という方向性が必要だと思われます。
歩さんは、目下高校入学という夢に向かって、受験勉強という形の努力をしています。市職労の若いメンバーが「ボランティア家庭教師」としてその努力を支えています。しかし、人工呼吸器をつけた子が地域の高校に入学するというのは、学力が合格点に達しさえすればOKというわけにはいかないでしょう。そもそもの、入試のやり方(試験時間は、筆記の介助は、パソコンの使用はなどなど)、内申書のつけかた、学力そのものの評価のしかたなど、問うていかなければいけない課題は山積しています。
5月28日には、「障害児の高校進学を考える」というテーマで講演会を行い、なぜ高校に行くのか(みんながいくから、でいいじゃないか)、学力をどう評価するのか(覚えようとするときすでにあるハンディを無視して結果だけで評価していいのか)などについて討論を行いました。 そういった課題に本人と共に立ち向かい、このハードルを本人と家族とともに越えていくことが、歩さんの自立への第一歩となるでしょう。
当面は高校入学の取り組みを最優先課題としつつ今後も共に生きる関係を作りながら自立のための介護保障を行える支える会の基盤強化と、支援体制の拡大に努力していきたいと思います。
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