1. 十和田市及び十和田市職労の概況
(1) 十和田市の概況
十和田市は、青森県東南内陸部に位置する面積316㎞2、人口約63,000人の田園都市です。安政2年(1855)南部藩士・新渡戸傳翁(五千円札の肖像・新渡戸稲造の祖父)が開拓の鍬を入れ、碁盤の目状に区画された市街地は「近代都市計画のルーツ」として注目されています。
また、本市の誕生は、昭和30年に1町・3村が合併して「三本木町」から「三本木市」とし、翌年10月には、大いなる発展と成長を願って国立公園十和田湖にちなみ「十和田市」と改称し現在に至っています。
(2) 十和田市職労の概況
十和田市職労は、昭和30年の合併を機に結成(組合員73名)され、現在は組合員数643名(加入率76.6%)となっています。
これまで、賃金・勤務労働条件の改善をめざした団体交渉はもとより、市社会福祉協議会に運営を委託していた児童館の市直営化闘争における職員の解雇に伴う地労委闘争や、元中村市長が管理者を務める昭和51年の十和田地区食肉処理事務組合の不正支出事件(通称「黒豚事件」)以来、市長リコール運動に取り組むなど「市政の民主化」「地方自治の確立」を求め、一貫して「反中村市長」のたたかいを展開し、市長選挙にも積極的に関わりをもってきました。
このことから8年前には「側近政治・側近人事の流れを変えよう」と新人で元助役の「水野氏の支持」を組織決定し、わずか614票差で勝利を勝ち取りました。
このように、市職労が推薦決定した市長でしたが、勤務・労働条件、市民不在の行革大綱等には、是々非々の立場で対処してきました。
2. 十和田市における保育園・幼稚園の現状と行革大綱への対応
(1) 保育園・幼稚園の現状
十和田市における保育園の現状は、昭和24年に市立八甲保育園(平成7年3月31日廃止)が認可されたのが最初です。その後、社会情勢の変遷にともない認可保育所・無認可保育所が次々設置され、現在認可18ヵ所(内公立2ヵ所)・無認可18ヵ所、合わせて36ヵ所の保育所が設置されています。
また、公立幼稚園については、昭和45年の東幼稚園を皮切りに、順次6幼稚園(小学校数:20校)が地域住民の強い要望により設置され、小学校に併設されたこともあって幼・小一体となった中で大きな教育効果をあげてきました。
(2) 市職労行革対策委員会の設置
行革大綱による事務事業の合理化・民間委託攻撃は本市においても例外ではなく、平成7年10月に策定された行革大綱に8年度からの推進事項として「市立保育園を統合し1保育園とする」「非効率的な運営を余儀なくされている市立幼稚園を廃止する」として盛り込まれました。
これに対して市職労では、四役・中央執行委員・組織内市議で構成する「市職労行革対策委員会」を設置(平成7年9月)し、行革大綱に対する反論と組合見解をまとめ、組織的なたたかいとして位置づけながら運動を強化することを確認しました。
行革大綱に対する反論と組合見解については次のとおり。
行革大綱に対する反論と組合見解
<市立保育園・幼稚園の統廃合>
1. まさしく「児童福祉および教育」の切り捨てである。子どもが少ないからと言って、即廃止の理論は納得できるものではない。保育時間の延長・一時保育・保育料の見直し、幼稚園における1年保育から2年保育へ、さらには保育時間の延長など、行政としての施策をなんら講ずることなく、また、市民の要望を聞くことなく一方的に廃止することが行政サービスなのだろうか。
2. ましてや、私立の幼稚園・保育園に市費を補助することが伝えられるなど、民間に任せっきりの福祉・教育行政のあり方が問われることになる。
ある父兄は、経済的な理由で市立保育園から民間保育園に変更したが、給食・おやつ等を含む劣悪な保育内容に呆れ、数日で再び市立保育園に戻ったという事実があることからしても明白である。
3. 幼稚園・保育園は、市の責任で必要性があって設置したものであり、自宅からその施設に通うことも教育の一環である。また、市立幼稚園を廃止すれば、父兄は保育料の高額な民間に通わせなければならず負担増となる。市の教育責任の放棄であり容認できない。
4. 特に幼稚園は、1年後に同施設が併設されている小学校に入学することを考えれば、現在社会問題にまで発展している「いじめ」「不登校」等に大きな影響を与える学校と地域(父兄)の連携からなる地域活動(地域の教育力の活性化)等の観点から、その意義は計り知れないものがある。
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3. 幼児・児童をとりまく情況と課題
(1) 幼児・児童をとりまく情況
若い農業後継者の農業離れは、農村の少子化と「高齢化」を生み出し、過疎化に拍車をかけてきました。このような中で各自治体は、児童館・保育所・幼稚園等、いずれも入園児数が減少傾向にあることに悩み続けてきました。こうした農村部での施設運営は、経済性はもちろん、人数が減少したことにより「教育効果や社会性・自主性等の子供の発達」にとって充分でないと言われる一方、農村部において幼児教育施設が消えることによって「地域の教育施策」「地域の文化」「伝統芸能の継承」「まつり等の地域行事」「コミュニケーション」等が失われることを危惧しなければなりません。
当市にみられる十数年前の児童館の廃止問題や、今回の幼稚園・保育園の統廃合を盛り込んだ行革大綱は「非効率的な運営を余儀なくされている」ことを理由にして行政権力的に進められていることも特徴的です。
(2) 過疎・過密化における悩みと課題
著しい人口の流出、とりわけ一極集中と言われるように、国で言えば「東京」、東北で言えば「仙台」、青森県で言えば「青森市」、十和田市で言えば「市街地」への集中は過疎と過密をもたらし、過疎地では路線バスの廃止・学校の統廃合、児童施設の廃止等の現象を招き、過密地では交通渋滞・相次ぐ公共施設の新設という社会現象をもたらしています。
過疎・過密、どちらも多様な悩みと課題を生み出した今日的な社会・経済情勢の中で、これらの問題点をどのようにすべきか各層で真剣に取り組まなければなりません。
(3) 現状の幼稚園・保育園の運営
縦割り行政の弊害かと思われますが、政府における保育・教育の所轄官庁が文部省と厚生省に分断されています。市民や保護者、あるいは関係者の間でも「幼稚園が格が上だ」とか、保育所は「低所得者が対象で格が下だ」等との意識が多少見え隠れします。
かつて「幼・保一元化」の論議が展開されましたが、結論は出ませんでした。現状は、幼・保ともそれぞれの特徴を生かしながら、幼児教育でも保育を取り入れ、保育事業にも幼児教育が取り入れられている実情にあります。
したがって、幼稚園では標準の教育時間が1日4時間となっていますが、ほとんどの私立幼稚薗では4時間の幼児教育と4時間前後の預かり保育を行い、保育所の保育時間と同じ時間帯となっています。また、保育所の運営も幼児教育的要素を取り入れ、今日的には施設名称の違いはあるものの、いずれも子供たちの発達を促すために必要不可欠な幼児施設で、両施設の特徴を生かしつつ運営されています。
しかし、一部の民間施設では、ここ数年、少子化現象により入園児の獲得を有利にするため、経営者の商業による勧誘作戦が繰り広げられている面も指摘され、中には生き残りをかけている経営者もいます。このようなことが公立の幼・保施設に「定員割れ」という影響をもたらし、最近各自治体による行革の目玉として廃止・統廃合・事業団化等、行政からの切り捨て策が顕著になっています。
(4) 幼稚園・保育園の現状と問題点
幼稚園・保育園は、それぞれ設けられた条件は異なります。幼稚園は、義務教育(就学)前の幼児教育を目的に標準4時間(3歳児から対象)でしたが、今日的には前述したように「預かり保育」が一般化しています。
また、保育園は保育に欠ける、つまり、夫婦共働き等をしなければ生活できない親等のために設けられたもので、原則8時間保育でしたが、現在の社会では夫婦共働きが一般化しており、就学前まで入園していることに伴って、基本的な生活習慣の習得の他に教育的な要素も加えられています。
したがって、今日的には、さらに一層の幼・保一元化をめざし、子供の側に立った幼児施設とすることが望まれますが、現実的には次のような問題が妨げとなっているのです。
① 幼稚園は学校教育法のしばり、保育園は児童福祉法のしばりで運営されているため、短所を補い長所を出しきれないでいる。
② 保育料は幼稚園が定額制であり、保育園は所得割によるもので、0円から保育単価:約10万円ぐらいまで大きな差がある。
③ 保育時間も、幼稚園は標準4時間、保育園は原則8時間である。
④ 年齢別の定員も、幼稚園は特に定めがないものの1クラスおおむね30人とし、保育園は乳幼児又は3歳未満児は6人、3歳児は20人、4・5歳時は30人となっている。
⑤ 幼稚園は2歳児未満の入園はできない。
など、多様な保育形態や内容に違いがある。
これらは、ただちに制度を改善できるとは思いませんが現状からカケ離れたものであり、それこそ行政改革をして、子供の側・親の側から希望のもてる幼児施設にしなければなりません。
4. たたかいの経過
(1) 保育園・幼稚園を守るたたかい
私たちは、単に保育園保母・幼稚園教諭の身分を守るだけのたたかいでは保育園・幼稚園を存続させることは困難と判断し、地域・保護者・組織内議員を含む市議会議員団(社民党市議3名)・市職労四者による「市立かねざき保育園を守る会」「市立幼稚園を考える会」をそれぞれ設置しました。
そして、保護者による意識調査の実施、地域への存続に対する理解を求めるチラシの配布や立て看板の設置、議会に対する「存続を求める請願書」の提出・地域での署名運動を展開し、保育園については1,334名、幼稚園については1,803名の署名を集め、市長への存続要望等を実施しました。
さらには、議会において当局の姿勢を質すなど、それぞれの役割を分担しつつも一体的な運動の中で、保育園については厚生常任委員会で請願書が採択され、9年度の廃止を1年間先送りさせる等の成果を得ることができました。
しかし、平成9年3月定例市議会に市長は、半ば強引とも言える「かねざき保育園の廃止・藤坂幼稚園を除く5幼稚園の廃止条例」を提案しました。
守る会・考える会では、最後まであきらめずにたたかうことを確認し、保育園については、保護者自らがアンケート調査や、本市と同規模の全国の自治体との保育行政の内容等の比較資料の収集・整理を行いながら、議員一人ひとりを訪問して「手作りの資料」を直接持参し、存続を訴え続けました。
その結果、議会最終日の議案採決では、市長が提案した「かねざき保育園の廃止条例案」は、10対10の可否同数(定数24、退席2・欠席1・議長は採決に加わらない)となり、議長採決によって否決されました。
しかし、「藤坂幼稚園を除く5幼稚園の廃止条例案」については、「地域に幼児施設がなくなる3幼稚園も存続すべき」との修正案を提出しましたが、賛成9・反対12(定数24、退席1・欠席1・議長は採決に加わらない)で否決され、この後行われた原案(藤坂幼稚園を除く5園を廃止)の採決については、賛成14・反対6(定数24、退席2・欠席1・議長は採決に加わらない)で可決されました。
(2) 切田幼稚園休園をめぐる裁判闘争
平成8年1月、教育長は「所定の期日までに入園申込者がいなかった」として、切田幼稚園の1年間の休園を決定しましたが、入園希望者が出たことから休園の撤回を求め、教育長が開園を約束、一夜にして休園に戻すなど二転三転しました。学校の夏・冬休みなどは教育委員会の決定が必要であり1年間という長期休園は一時的な廃園に等しい重要事項であるにも関わらず、決定を教育長が行ったことは権限外であり無効である」とし、入園不許可処分の取消しを求める行政訴訟(後に、幼稚園教育を享受する権利を侵害されたとする損害賠償を求める民事訴訟)を起こした切田幼稚園休園をめぐる裁判闘争については、教育長が1ヵ月の任期を残して辞任しました。
辞職の理由については「一身上の都合」としましたが、背景には明らかに「一連の幼稚園をめぐる教育混乱と教育不信の責任を明白にしたものがある」とし、教育長が責任をとって辞任せざるを得なくなったもので、訴えの根拠としていた各事項についても「過ちを認めたと判断する」として訴訟を取り下げました。
5. 総 括
このたたかいにより、①組織問題としてとらえてたたかったこと、②地域・保護者の課題として共通認識をもちえたことが、地域運動の大きな成果となりました。
しかし、このたたかいはこれで終わりではありません。一つの通過点にすぎないのです。今が良ければ良いという「勝った・負けた」の問題に終わらせてはなりません。
私たちは、「保育園・幼稚園の存続運動」及び、それぞれの「報告集会」において、今後とも、公立保育園・幼稚園の役割と必要性を訴えていくべく、地域・保護者と一体となって運動を継続していくことを再確認しました。
また、たたかいの陰には、組織内議員の議会における大きな力があったことも忘れてはなりません。
今回のたたかいにあたり、自治労中央本部・青森県本部のご支援に感謝し、十和田市の小さなたたかいが全国の仲間の皆さんに届いてくれることを心から願いつつ、報告とさせていただきます。
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