進修学園職場自治研活動5年間の歩み

福井県本部/武生市職員組合・職場自治研児童養護施設活性化部会


1. 職場自治研の誕生

 『武生市職・職場自治研児童養護施設活性化部会』は、武生市立進修学園の直接処遇職員全員によって、1995年5月に創設されました。
 当時、私たちを取り巻く情勢は、隣設する養護老人ホーム寿楽園の民営化や県内に6施設ある児童養護施設の統廃合がうわさされるなど、非常に厳しい状況でした。
 さて私たちの職場では、様々な事情で、家族とともに暮らすことのできない子どもたちが集団で生活しています。それゆえ私たち職員にとって「職場がなくなる」ということは、同時に、この子どもたちの「生活の場(=家)がなくなる」ということを意味します。
 そういうわけで当時の私たちの思いは「家庭(=おとな)の事情でつらい別れを経て入所してきた子どもたちに、今再び行政(=おとな)の事情でつらい思いをさせるなんてできない。子どもたちのためにも、自分たちの職場は自分たちで守ろう。」という、とても情熱的なものでした。
 斯様な状況の中、現場職員全員による話し合いの結果として「時代のニーズに応じた、地域に必要性を認められる施設へ脱皮することで、施設の存続を勝ち取ろう!」という職場自治研方針が生まれてきたのです。

2. 自己点検による処遇改善

 ところで近年、私たちの施設では、親から虐待を受けた子どもたちの入所が増えています。本来最も愛されるべき時期に、しかも誰よりも愛してくれるはずの人から受けた虐待は、心に大きな傷を残します。そんな大変な傷をもって入所してくる子どもたちに、どう関わればよいのか……施設職員として非常に悩むところでした。
 そこで私たちは福井県中央児童相談所の心理判定の先生をお招きして、子どもの心に関するカウンセリングの勉強に取り組みました。
 この勉強会は、1996年度から1997年度の2年間、隔月で実施され、私たちの処遇そのものに大きな変化をもたらしました。以後、私たちは、「子どもに何かを教えてやろうとするのではなく、子どもの心に添いつつ、ともに成長していこうという姿勢こそが大切である。」という新たな養護理念のもとで、担当保育士と子どもとの1対1の信頼関係をなにより大切にする処遇を心がけています。
 さらに児童養護施設入所児の問題としては、高年齢児処遇の問題があげられます。社会で上手く自立できない子供たちの増加は、今や社会問題になりつつありますが、当園の卒園児も例外ではありませんでした。そこで私たちは、社会での失敗経験を有する子どもたちを専門に受け入れている施設=自立援助ホームでの実践を学ぶことにしました。そして東京の中井児童学園、新宿寮、経堂憩いの家、横浜の遠藤ホーム、鳥取の鳥取フレンド、石川の石川県自立援助ホームを訪問し、それぞれの実践報告を積み重ね検討していく中で、高年齢児処遇のあり方を改善し、殊にアフターケア(卒園児に対する援助)の充実を図ってきました。かさねて今日では、福井県内での「自立援助ホーム創設」が、私たち自治研部会員全員の悲願となっています。

3. 地域に開かれた施設へ

 今時、核家族化の影響などで、家庭の養育機能が低下してきているといわれています。また女性の社会進出を支援する意味でも、子育てを社会的に担おうとする動きが注目されています。確かにいわゆる24時間コンビニ社会といわれる時代状況の中で、私たちのような施設職員や看護婦さんなど、仕事が恒常的に夜間にわたる女性労働者は増加してきています。また母子や父子等最小単位で子育てをしている家庭では、保護者が病気になった時など心配事が山積のようです。そこで私たちは、私たちの施設の24時間生活支援機能に着目しました。私たちは、私たちの施設の既存機能を有効活用すれば、そういった子育てに奮闘中の人達を手助けできるのではないか、つまり私たちの施設が、夜間、一般家庭のお子さんを預かるサービスを実施することで、地域社会の子育てを支援できるのではないか、と、考えたわけです。
 しかし95年当時、児童養護施設でのこのようなサービスは、(太平洋側の都会では数例見受けられましたが)県内はもとより北陸でも初めての試みでした。
 そこで私たちは、既に同様のサービスを実施し、一定の成果を上げていた東京の調布学園や四日市希望の家に学習交流に行きました。現場実態に則した検討は約1年にも及びましたが、結果、私たちはこの事業実施に関するすべての事案(=料金やサービスメニューの設定から要綱作成に至るまで)を、自分たちで考え、自分たちで決定していくことができました。
 さらに今日、私達はこの事業の延長線上に、地域子育て支援及び子どもの権利の擁護拠点として児童家庭支援センターを想起し、その附置に向けた取り組みを展開しているところです。

4. 自治研集会や議会でアピール

 ところでこの間、私たちは基本組合と連携し、私たちの思いを市民の皆さんに知ってもらうために様々な自治研集会を企画してきました。95年9月には、近隣の特別養護老人ホームや障害者施設の単組組合役員の方々と共に「いってみよう福祉施設へ、やってみようボランティア」と題した集会を開催しました。そこでは施設を巣立つ子供達が社会の荒波に飲まれ苦しんでいる実情を語るとともに、「福祉に関心のある地域の皆さんには、地域の中でさりげないボランティアとして、施設OBの子どもたちを支えてほしい」といった趣旨を訴えました。
 なおこの集会には民生委員さんをはじめとして、200名近くの市民の参加を得ました。
 また98年2月には、市職主催の自治研連続市民フォーラム(※)の中で、「がんばれ新世紀の子どもたち ― 児童福祉施設の近未来像を考える ―」と題した分科会を担当し、前述の自立援助ホームや児童家庭支援センターの創設を提起しました。
 このような自治研集会の成果を踏まえ、当市職の組織内議員は、98年3月議会で、進修学園の施設機能拡大(児童家庭支援センターの進修学園への附置)を訴え、「児童養護施設の機能拡大、及び児童家庭支援センターの附置については、積極的に検討していきたい。」との理事者答弁を引き出すことができました。
(※外国人との共生、男女共生、子育てや介護問題など様々な問題を市民と共に語り合ったフォーラム。武生市職は、このフォーラムをきっかけに「職員採用における国籍条項の撤廃」を実現しました。)

5. 外国籍児童に私たちができる事

 最近、私たちが、自治研活動に積極的に取り組んでいることで、様々な情報が寄せられてくるようになりました。「一部の外国籍児童(※)が地域社会や学校で疎外されている」という情報もそのひとつです。
 そこで、私たちは、現に日系ブラジル人として武生に暮らしている市の国際交流員や国籍条項撤廃に向け自治研活動を展開していた基本組合執行委員を交えての学習会を2回開きました。
 私たちは、98年の自治研連続市民フォーラム等、様々な自治研活動の機会を通じて、「国際化の時代といわれて久しい今日であっても、日本社会には国籍や民族、文化の違いを認めあう状況が乏しいのではないか?」という問題意識を共有してきました。その現状認識の上で、実際に福祉の現場を持つ私たちが「具体的に何ができるのか?」を模索しました。98年末より99年2月まで、ポルトガル語の自主学習会も延べ5回にわたり実施してきました。
 そして99年4月、子どもたちのボーン保障を徹底し、多様な文化を尊重し合う場として多文化共生広場をオープンしました。00年3月には、大阪の市民団体「多文化共生センター」の田村さんを招いての勉強会も催しました。
 この1年の間、当初リーダーであった人たちが帰国してしまったり、参加者の間で考え方に若干の相違があったりと、未だ軌道に乗っているわけではありませんが、私達は、大人も子どもも、日本人も外国人も、もとより家庭の事情や出自を問うこともなく、それぞれが対等な立場で、同じ地域に暮らすパートナーとして互いに尊重しあえる空間を作っていければ……と考えています。
(※90年の入国管理法改正によって日系ブラジル人住民が急増したことで、現在、武生市の外国人登録者数は総人口の約3%強、約2千3百名余りとなっています。)

6. 障害児保護者との連携

 今、私達の施設には、数名の障害を持つ子どもたちが健常児と共に元気に暮らしています。また多くの障害を持つ子どもたちが施設OBとして社会へ巣立っています。しかし、その日常生活には大変な困難を伴っているのが実情です。通院、就学、就労、自立生活支援と障害児の自立のための課題は山積しています。「施設を出てもまた違う施設へ」……自分自身の力不足を痛感するのも、施設の子どもたちがこういう進路選択を採らざるを得ない時でした。
 しかし99年10月、武生市のエンゼルプラン改定をきっかけに、それまでは声をあげる事の少なかった地域の障害児の保護者達が集まり、行政に直接、障害児施策の充実を訴えていこうという機運が高まりました。そして2000年1月には、市民運動団体として「武生に暮らす全ての子どもたちの社会的自立を実現する会」を立ち上げ、全市規模の署名活動を展開しました。連合地協、自治労県本部の協力を得ながらの署名活動は、結果として武生市民の約4割、2万8千筆を集める大運動に成長し、市長・市議会議長への陳情へと発展していきました。
 かつての体験から障害児施策の不十分さを痛感していた私達は、この運動に立ち上げの段階から積極的に関わってきました。会員として運動に参画することはもとより、会議開催中の預かり保育にも一丸となってボランティアで取り組みました。
 当初12名でスタートしたこの会も、今では障害児の保護者ばかりでなく障害児施策の充実を求める支援者市民(医師や教員、行政担当者など)を含め約50名の市民グループへと成長しています。私達は引き続き事務局・運営委員として、その運動の一翼を担うなかで、他の保護者や支援者の皆さんと共に、息の長い運動をしていきたいと思っています。

7. 自治研活動=福祉行政!?

 “地方分権、公共サービスの拡大、住民サービスの向上が自治研活動の目標”というと、とても固く聞こえますが、実際はそうでもありません。
 ただ、(本当に困っている市民の人たちから)「自分たちの仕事や職場が必要とされているという現実に敏感になること、そして自分たちの仕事を冷静に振り返り、よりみんなが喜ぶ方向で工夫し、改善していくこと。」--私たちの職場自治研は、それだけの事の繰り返しでした。
 私たちは、今とても前向きに自治研活動をしています。「どんな、問題が起こるかわからないけど、私たちが必要とされているのであれば、とりあえずチャレンジしてみよう」というのが、私たちの自治研スタンスでしょうか。
 また、本当に福祉(殊に養護福祉)を必要としている人は、自分の生活に手一杯で、行政に要望したり、集会を開いてアピールしたり、ということができにくいのが現状です。
 それゆえ福祉の現場にたずさわる私たち自らが利用者市民を代弁し、事業や制度を整えていく必要があるのでしょう。その意味で、福祉の仕事は、市民の声なき声を集める仕事でもあるのではないでしょうか?
 文字どおり「自治研=福祉行政」でもあるように感じる昨今です。
 私たちは、これからも市民の声なき声に敏感でありたいと思っています。そして、私たちの子どもたちのためにも、育ちの背景や障害の有無、民族の違いによる差別や偏見の一切無い社会、そこに暮らす誰もが、等しく自由に、しかものびのびと自己実現できる地域社会づくりを目指して、一歩一歩着実に前進していきたいと思っています。