気泡と化した新しい市立病院建設計画

北海道本部/自治労帯広市労連・自治研推進委員会


1. 帯広市立病院の現状と課題

 現在の帯広市立病院は76年8月に全面改築され、一般病床50床の内科専門病院として、これまで地域医療体制の一翼を担ってきたが、規模の小ささ、地理的問題(帯広市の最東部に位置)、医療供給体制の問題などから長い間赤字経営が続き、議会からも指摘されている現状であった。こうした状況を改善するため当時の高橋市長は、93年以降、医師の充実、医療機器の高度化などの整備拡充を図り、結果患者数の増加など経営改善が図られ、単年度黒字を計上するに至った。
 しかし、建築後20年以上経過しているため、老朽化・狭隘化が進行し、これ以上の医療機器の向上、患者受け入れ、スタッフの蓄積などが困難となっており、公的病院としての役割・地域の医療課題の解消など、市民要望に応えることが難しい現状であった。

2. 帯広・十勝地域の医療の現状と課題

 帯広・十勝地域は、二次医療圏と三次医療圏が道内で唯一重複している地域であり、東京・神奈川・千葉の1都2県より広い医療圏となっている。また、大規模病院・総合病院が少なく(400床超が1病院、総合病院が2)、地域センター病院と地方センター病院(公的医療機関)が重複している地域でもある。同時に、①民間病院を補完・支援する公的医療機関の不足、②救急医療体制の未整備(外科の一次救急体制の未整備、夜間救急センターは内科・小児科のみの対応)、③入院等の機能を備えた眼科・耳鼻咽喉科・小児科等の不足(患者の管外流出、入院待機者の恒常化)、④総合・大規模病院の不足(患者の一極集中、診療待ちの長時間化)など多くの課題を抱えている。

3. 市立病院整備拡充への道のりと帯広市労連の取り組み

 こうした多くの課題を解消するため、当時の高橋市長は91年「市立病院の多科目診療化」を打ち出し、以降、市民アンケートの実施、地域医療協議会への諮問・答申、地元医師会との協議を調え、96年3月道に病院開設計画書を提出し、同年5月146床の増床認可がされた。(250床計画が調整により196床に変更)
 その後関連予算を計上した96年6月議会において、「市立病院整備調査特別委員会」が設定され、都合10回の審議を重ね、97年6月少数与党という厳しい議会勢力の中、賛成29:反対6の賛成多数で可決され、議会としても新しい市立病院の建設にGOサインを出した。


〔新市立病院の概要:高橋計画〕
○建設予定地 帯広市南町南8線西24番地1(帯広工業高校移転跡地)
             *面積 30,000㎡(伝染病棟分合む) 
○標榜科目    9科目

内科、消化器科、循環器科、小児科、外科、整形外科、眼科、耳鼻咽喉科、麻酔科 

○病 床 数   一般病床 196床 伝染病床 20床
○職 員 数   正職員 175人 *開院後3年間で定数を充足する。 

医師 25、看護婦 113、薬剤師 5、その他医療技師等 21、事務等 11 

○建   物 延床面積 15,712.57㎡ 

 しかし一方で、計画が明らかになった時点においても、当事者でもある市立病院職場委員会(市労連の下部(職場)組織)への情報提供が極めて少なく、マスコミを中心とした情報が一人歩きしており、職場委員会は大きな不安を抱えていた。現場での議論がない計画は、絵に描いた餅であり、現場の意見・考え方をきちんと計画に反映させるよう、市労連としての取り組みを始めた。
 最初に取り組んだのが、私立病院組合員を対象としたアンケート調査であり、その結果からも新しい病院に対する院内の議論が全く分からない・見えていない事実が明らかになった。こうしたことから職場集会を重ねながら、現病院の問題点・新病院に対する意見・要望を取りまとめ、当局に対し申し入れするとともに、院内に設置された労使による検討委員会の中で意見反映してきた。
 当初新市立病院建設計画に対し、懐疑的であった組合員も多数いたが、こうした取り組みを積み重ねることにより、自分たちの意見を反映させた新しい市立病院の建設に希望を持ち、市立病院職場委員会として計画内容を検証しながら職場内議論を深めていった。同時に帯広市労連としても、市民の生命と暮らしに直接関わる課題であり、組合員全体として意思統一すべき事項であることから、職員の配置・定数問題、職場環境の問題解消を図るとともに、自治研報告会・学習会等を開催しながら計画の内容と市労連の取り組みを周知し、組合員の理解を得ようと取り組みを進めた。

4. 新市立病院が担う役割

 自治体病院の本来の使命は「住民の医療を確保し、医療に携わる人の教育や住民の健康を保つための公衆衛生活動を行うことで地域住民の福祉の増進に役立つこと」にあり、「良質な医療」の確保と「24時間安心して暮らせる」市民生活を保障することが市立病院の責務である。現状の帯広・十勝の医療体制は、すでに触れたとおり多くの課題を抱えており、残念ながら北海道救急医療情報システムのトラブル件数のうち、全体の9割にあたる727件(94年度値)が十勝に集中しており、うち715件が外科系となっている現状であった。
 こうした状態を打開するため、新しい市立病院には、①救急医療体制の充実、②不足診療科目の充足、③民間医療機関との連携の充実、④保健・福祉と連携した医療の充実、⑤不採算医療の充実など具体的な役割を担うことが盛り込まれていた。
 具体的な計画を打ち出して以降、建設に向けて全体で確認されるまでの道のりは6年の歳月を要したように決して平坦ではなかった。議会での少数与党という立場、組合員の中にも新病院建設の財政的負担への懸念などから計画への疑問視があったのも事実である。しかし、現状のままの市立病院で良いという消極的な意見はなく、情報を共有しながら庁内合意・組合員合意を図っていった。そして一番時間をかけたのが市民合意・地域合意であり、議会での議論の他、地元医師会へ15回、地域説明会を10回以上開催し、疑問点を一つひとつ解消しながら地域での合意を形成していった。

5. 宙に浮いた市立病院拡充計画

 このように時間はかかったが、今後順調に進むと見られていた計画は、98年4月の市長選で新市立病院建設の一時凍結を公約に掲げた現市長が当選したことで迷走することとなった。
 現市長は選挙期間中、新市立病院建設は市民合意を得ていないと主張し、確認団体が発行した法定ビラに至っては、明らかに事実を歪曲した意図的に誤数値を羅列した内容であった。(当選後の議会答弁の中で市長は、検証する立場にないとの態度に終始しており、選挙期間中に有権者が候補者の主張を判断する重要な情報である法定ビラが意図的に歪曲化され、事実と異なる記載がされたことに対する道義的責任は現時点でも取っていない。)
 確かに選挙期間中、市民団体が新しい市立病院の建設凍結を求める署名活動を実施し、約15,000筆集約したと報道されたが、これは明らかに現市長派の選挙運動の一環であり、事実集約された署名はどこにも提出されていない。
 しかし、結果は結果であり、事実を受け止めなければならないが、一番残念なことは、これまで議会で充分議論され、建設計画がスタートしている現状でありながら、市民の生命と健康を守る新市立病院建設計画について現市長が、充分にその内容を検討・検証することなく、単に選挙に勝つための道具として使ったことである。

6. 根本議論が置き去りにされた新しい病院建設計画

 市長自身当選した以降、凍結・見直しだからもう少し時間をかけて考えたいというだけで、「なぜ」「どこに」「どのような」問題点があり、「だから計画は一時凍結し見直しする」という具体的な理由を示すことはなかった。
 いたずらに前計画を引きずり、新しい計画のビジョンすら示せない状況が続いた中で、帯広地区連合・平和運動センターは、新市立病院建設促進の立場から公開質問状を市長に提出したが、明確な回答がなかったため、趣旨に賛同する10団体によって「新市立病院の早期建設を求める市民連絡会」を結成し、市長・市議会に対する要望書及び陳情を提出するとともに署名活動を展開した。(最終的には約36,000筆を集約し、市に提出)市労連としても署名活動に取り組むとともに、議会内での議論、新市立病院建設の一時凍結に関わる問題点を検証し、組合員に明らかにしていった。
 こうした議会内外からの追求に対しても市長は、モデル的な病院を作ると言うだけで具体像は示せず(示すことができず)、いたずらに時間だけが経過し、結局新しい市立病院像が明らかになったのは、市長当選後1年半を経過した99年10月の厚生委員会であった。その内容も、ベット数100床規模、診療科目は内科と外科だけ、建設地も現在地というものであった。空白となっている外科の一次救急は行わない、採算性のみを全面に出したため、不足診療科目も扱わない、手狭な現在地での改築と、前計画との違いを出すためだけに腐心し、結局は公的医療機関として果たすべき役割が欠落していると言わざるを得ない内容であった。併せて、新病院建設計画は、現場の意見が全く反映されない(事務局は病院内にない)机上だけの計画であり、当然職場・議会からも多くの疑問・問題点が出された。
 また、現市長は手続論として、市民合意を得ていないと前市長を批判し当選してきていながら、10月になって初めて計画を明らかにし、翌3月議会には関連予算を計上するなど、極めて限られた時間の中で、どうやって市民コンセンサスを得ようとするのか、「時間切れ=スタート」を目論んでいると言われても仕方がない状況であった。


[新市立病院の概要:砂川計画]
○建 設 地   帯広市東13条南6丁目1(現在地での改築)
            *敷地面積 16,337.12㎡
○診療科目    内科、外科(消化器科中心)
○建設延面積  7,200㎡
○病 床 数   100床

7. 否決された新市立病院建設計画

 新計画表明以降、議会での与野党問わない厳しい議論にも関わず市長判断で関連予算が、2000年3月議会に計上されたが、市長与党多数という状況の中で予算が否決されるという異常事態となった。食い違う答弁、二転三転する新築理由から改築へと、新しい市立病院の果たす機能が見えず、併せて理事者側の曖昧な姿勢から議会側の反発を招くこととなったが、結局は市長のリーダーシップの欠如・理念のなさ・状況判断力の欠落がもたらした当然の結果であった。
 99年12月時点で前市長時代認可されていた増床分を一旦返上していたため、3月末までに再申請しなければ増床自体が認められず、新病院建設計画そのものが白紙に戻ってしまうことをたてにし、何とか議会を乗り切ろうとしたが、それも叶わなかった。
 帯広・十勝の医療圏は、前計画策定時点から一部状況が変わっているとはいえ、それでも不足診療科目の充足や外科の一次救急など、まだまだ改善しなければならない課題が山積しているにも関わらず、新しい市立病院建設が事実上不可能となったことは、本当に残念な結果になったとしか言いようがない。

8. 誰のための新市立病院建設計画だったのか

 こうした結果は、病院職場内にも大きな混乱をもたらし、組合員は今後市立病院はどうなるのかという率直な不安の中で働いているのが現状である。これまで新病院建設計画が明らかになって以降、建設に向けた議論に参加し、研修活動に入った途端に一時凍結・見直しとなり、結局は計画そのものが白紙となるなど、議論に振り回され続け、全て無駄となった虚脱感しか残っていないといっても過言ではない。
 「帯広・十勝のセンター病院として市立病院を位置づける」「公的医療機関としての役割を果たす」、このことに対して誰も異論はなかった。しかし、市長の判断力のなさから全てを失う結果となり、今後しばらくは事態の推移、医療を取り巻く環境の変化を見守るだけとなっている。
 重要な政策課題であるため、さまざまな意見・議論があってしかるべきであり、市労連もいろいろな意見をいただいた。自治体立病院を取り巻く環境は大変厳しく、全国各地で赤字経営、合理化が続いている状況である。しかし、帯広市の新しい市立病院建設計画は、帯広・十勝の医療圏の置かれている状況を何とか改善したい、診察から投薬まで何時間も待たされたり、地元で医療行為が受けられないから管外に行くしかない、こうした状況を改善するために計画されたのが、そもそもの出発点であった。そのために、時間をかけて充分議論し、市民合意を得ながら進めてきた計画が政争の具とされ、市民の生命と暮らしを守るための新市立病院建設計画が、市民の生命と暮らしを守る最高責任者たる市長の理念の無さから気泡と化してしまった。この事実をどう受け止めるのか。計画が事実上白紙となって一番不幸なのは市民であるということを忘れてはいけない。