「図書館員の専門性」と「非常勤専門職」問題
-明確にされてこなかった「図書館員の専門性」の問題と、その反映としての東京23区の「非常勤専門職」の問題を現場でどう考えるか-

東京都本部/荒川区職員労働組合・図書館分会・西河内靖泰

 

1. はじめに ─ 公共図書館とは何か ─

 ここ数年、マスコミで図書館のことが、頻繁に取り上げられるようになってきた。利用者や住民本位の素晴らしいサービスを展開している図書館が目立ってきたこともあって、マスコミも、その重要性に気づきはじめたようだ。図書館に関心がもたれるようになったとはいっても、まだ、この日本では町村の半分には図書館がない。そんな状況のもとで、図書館はどうイメージされてきたのだろうか。たしかに昔の図書館とはイメージは変わってきたが、まだまだ、図書館を単なる余暇・娯楽の施設としかとらえていない自治体が意外に多い。図書館の本質的役割は「資料(情報)提供」であることが、理解されていない。「図書館は何のためにあるのか」という基本的なことがわかっていないのだ。
 「ユネスコ公共図書館宣言(1994年)」は、「公共図書館は、その利用者があらゆる種類の知識と情報をたやすく入手できるようにする、地域の情報センターである」と定義する。「あらゆる種類の知識と情報」を「資料を通じて提供する」のが図書館の役目なのだということだ。また、日本の公共図書館のサービスの原則を明らかにし、図書館サービスの転換点となった、『中小都市における公共図書館の運営』(『中小レポート』)(1963年日本図書館協会)では、公共図書館の社会的役割を、住民の知る自由(権利)を保障することにおき、その機能として資料提供を行うことを明確にして、館外奉仕を重視した。
 ユネスコ「学習権」宣言(1985年)は、「人間の生存にとって不可欠な手段である」と、「学習権」を基本的人権のひとつとして宣言した。人が「学習する」ということは、人間らしく生きるための必要な権利であり条件である。「学習活動は」「人々を、なりゆきまかせの客体から、自らの歴史をつくる主体にかえていくものである」。この宣言は図書館のことには直接言及しているわけではないが、「この権利を具体化し、すべての人々が効果的にそれを行使するのに必要な条件」とは、公共図書館であるととらえられる。
 公共図書館の存在意義とは「資料提供」という基本的な任務を通して、あらゆる人々に「知る権利」という基本的人権を「保障」することにある。 図書館の役割は、基本的人権のひとつである「知る権利(知る自由)」を現実のものとするために、だれもが自らが必要とする「資料」や「情報」を手にし自由に活用できるように、様々な図書やその他の資料を収集して提供することにある。公共図書館とは、民主主義を支える「知る自由」・「学習権」という基本的人権を、資料提供という機能を通じて保障するという「人権保障機関」なのだ。

2. 「図書館法改正」がもたらす誤解 - 軽視される図書館員の「専門性」

 「民主主義を支える機関」「人権保障機関」としての図書館には、本来「地方分権」はふさわしい。地方自治を確立させる「地方分権」のためには、その前提として住民や自治体が自ら考え主体的に決定していくことが必要である。自治体や住民は、自分たちで情報を収集・活用し、判断していかなければならない。そのためには、図書館は地域の情報拠点として、当然重要視されるべき機関なのである。
 にもかかわらず、本年4月施行の「地方分権推進一括法」により、改正された「図書館法」は、「地方分権」の謳い文句とは裏腹に、自治に根差した図書館サービスの後退を現実的には招いてしまっている。今回の「図書館法」改正では、国庫補助金の支出要件の廃止と、図書館協議会委員の構成の規定が改められた。このうち国庫補助金の支出要件である図書館長の司書資格要件の廃止は多くのマスコミに取り上げられたが、一部の新聞ではあたかも「図書館長は司書では困る」と受け取られるような報道がされていた。「図書館法」改正は、国の補助金の支給要件であった、館長が司書であることや司書の数などが盛り込まれている最低基準等を「必置規制」として扱い、それを廃止したものだが、大きな2つの問題があった。
 ひとつは、「必置規制」として補助金要件が扱われて、「廃止」されたことの影響である。素直に図書館法を読めば、図書館の設置は各自治体の自発的意志によるものであり、「必置義務」はない。補助金交付は、図書館設置の促進のためであり、本来「規制」するものではない。だが、地方分権推進委員会の勧告では、何らかの事業を行うに際し条件をつけること自体が「必置規制」だとするから、その理屈では「必置規制」なのだろうが、いささか強引な論法である。図書館は「自治」「分権」のためには必要な機関だが、図書館法は設置を自治体の主体的判断にゆだねている。一方、学校図書館は「必置」であり、一昨年改正された学校図書館法は「司書教諭」を「必置」とするが、これを地方分権推進委員会は「必置規制」とはいっていない。補助金要件を「必置規制」とするのならば、その「廃止」の意味は「図書館はいらない」と国が結論づけたと誤解する自治体が出てくるのはむしろ当然のことだ。
 ふたつには、これまで図書館職員や図書館長に「司書」が必要として配置してきた自治体に対する影響である。「司書」の配置がすすむどころか、かえって減ってくることにならないか。図書館法では、「司書」を図書館の専門的職員として位置づけており、地方分権推進委員会の二次勧告も専門的職員の必要性を認めている。しかし、専門的職員の必要性を認めているはずなのに、補助金要件とはいえ司書の数の最低基準や館長の司書有資格要件を廃止したことは、現実には短絡的に「図書館の職員や館長には専門的職員(司書)はいらない」と受け取られる。実際、自治体の議会での「図書館長に司書有資格者を配置したら」との質問に対し、「館長には専門的職員はいらない」との答弁をした自治体もあるのだ。
 日本の町村の約7割には図書館がなく、図書館のある自治体でも、身近な地域に分館がないところが多い。国民の多くが、図書館を気安く利用できる環境にはないのに、建設補助金を打ち切り、それに替わる図書館設置促進のための政策も打ち出されない。さらには、図書館法から補助金の要件の館長司書有資格を廃止すれば、それぞれの自治体での図書館の位置付けも低下し、「図書館長は専門的職員である必要はない」と受け止めるのは普通のことだろう。これらの規定の廃止は、「司書」の必要性を明文化したものがなくなることであり、現在「司書」を置いている自治体であっても、将来「図書館に専門的職員は必要ない」として、「司書」が図書館を「追われる」かもしれないのである。
 それは、なぜなのだろうか。実は本来明らかであるはずの「図書館員(司書)の専門性」が明確に示されてはこなかったためなのだ。

3. はっきり示されてこなかった、「図書館員の専門性」

 図書館学では、利用者の求めに応じて利用者が必要とする資料や情報を的確に提供し、利用者の目的実現を援助するという図書館の役割を成り立たせる基礎的な構成要素として、資料・施設・職員をあげ、図書館の理念・目的を具体的な形で実行するものとして、図書館職員の占める役割は大きいとする。それは、図書館職員の有効・適切な働きかけがないと、図書館は単なる「建物」や資料の「置き場」にすぎなくなるからである。
 その図書館職員のうち、図書館固有の専門的な仕事に関わる職員=「図書館員(司書)」が、どのような固有の役割を担い、その専門性とは何かを論じるとき、これまで図書館界では、1974年の日図協・図書館員の問題調査研究委員会の「図書館員の専門性とは何か」の最終報告をもとにしてきた。「図書館員(図書館司書)の専門性」に関する日図協の唯一の公式文書である同最終報告は、「利用者の要求にこたえる(図書館員の)専門性」の内容について、「1.利用者を知ること、2.資料を知ること、3.利用者と資料を結びつけること」の3点をあげている。これだけでは、「司書の専門性」は明らかになっているようで明確になっていない。それなのに、「専門性」にかかわる文献としてはこの最終報告以外に適当なものがない。したがって、「専門性」を明らかにするには、最終報告を踏まえながらも、私たちなりに集約するしかない。
 それぞれの職業により「専門性」の定義はかならずしも一様ではないが、実務的に規定すると、「その仕事にとって、大事な精神と基礎的認識、一定以上の技術・能力を持ち、さらに日々研鑽する」ことになるだろう。これを対人サービスとしての「図書館司書」の「専門性」を中心にして、まとめてみると、「精神(スピリッツ)」とは、①利用者に対するサービス精神、②利用者の権利・利益を大切にする精神、③自らの職業性・倫理性を自覚する精神。「基礎的認識」とは、①図書及び図書館が人類社会で果たしてきた歴史的役割について理解と信頼を持っていること、②本や情報に対して関心を持ち、その意義を理解していること、③そのための基礎的教育・訓練を受けていること。「一定の技術・能力」とは、①資料をよく知り客観性を持った価値判断ができること、②図書館員として当然備えておくべき基本的な資料に関する知識を持ったうえで、さらに様々な主題別の知識を積み上げていること、③出版流通に関する理解を持ち、たえず出版情報を収集し、自館の「選書・収集」・蔵書構成・相談業務などに充分生かしていること、④利用者に関する情報・動向を的確に把握し、図書館サービスに反映させていること、⑤様々な資料の使い方、集め方、リサーチ(「探索」)のための情報処理の方法を身につけていること、⑥サービス計画、目標を常に立て、標準化されたサービス技術を習得し、それを他に指導・伝達できること、⑦対人サービスに向いていること(人と接することが苦手な人はダメ)、⑧勘を働かすことができる、想像力があること(勘がにぶい人はダメ)。「日々研鑽する」とは、①自分の時間も使って常に勉強し、技術・能力向上に努めていること、②その成果を、自己のみに留めず、他の人に伝え広げる努力をしていること、ということになるだろう。
 しかし、これだけで「専門性」が明確になったといえるのだろうか。ここにあげられているものは、かならずしも「専門職」でなければできないというものではない。「専門性」の一面を示しているものではあっても、絶対的な「専門性」を示したものとはいえない。「さすが司書だ」との評価や、目に見えるような実践がないと、自治体当局を納得させることはできない。「司書の専門性」は、その社会的評価と表裏一体のものなのだ。
 司書職制度は、図書館の管理・運営がわかっている「専門職」がその職務に専念し、図書館サービスに充分な力が発揮できるようにするためのものだが、日図協図書館員の問題調査委員会は、司書職制度の要件を次の6項目に提示している。「①自治体ごとに司書有資格者の採用制度が確立していること。②一定の経験年数と能力査定(昇任試験)のもとに司書独自の昇任の道が開かれていること。③本人の意思を無視した他の職種への配置換えが行われないこと。④館長および司書業務の他の役職者も原則として司書有資格者であること。⑤自主研修の必要性が確認され、個人・集団の双方にわたり研修制度が確立していること。⑥司書その他の職員の適正設置基準が設けられていること。」
 この制度が確立するためには、住民にとってどのような図書館サービスが必要であり、それを実現するためにはどんな職員がいなければならないのか、明確に示されていなければならない。それがないのに、「専門職が必要だ」といくらいったところで理解されるはずがない。図書館に「専門職が必要」であることを、豊富な説得性のある具体的な実践と理論をもって示してこられなかったことに、制度を要求する側の弱さがあったのではないか。

4. 東京23区で導入すすむ「専門職」非常勤をどう現場で考えるのか
   ― 荒川区での「非常勤」導入にあたってのわが分会の「考え方」から ―

 司書職制度を持たないまま、96年に「司書」の職名を廃止した東京23区ではあっても、今日の市民の図書館への期待の高まりや、幅広くより専門的になっている資料要求に応えるためには、図書館について一定レベルの専門的教育を受けたうえで、かつ図書館サービスに対して意欲と情熱を持つ職員が、必要であるとの認識は持っている。とはいえ、「専門性」が明確に示されてこなかった状況下では「正規(専任)の職員が専門的職員として必要である」とする区は多くはなかった。そうした23区の多くではいま非常勤の「専門的職員」の導入がすすめられている。10年以上前から「図書館協力員」という名の非常勤「専門職員」がいる練馬区に引き続き、豊島区や北区などでは、昨年度非常勤「司書」を大量採用した。わが荒川区も導入に踏み込んだ。この傾向は拡大し、今後は23区の図書館サービスは非常勤「司書」によって、担われていくことは間違いない。全国的にみれば、すでに嘱託、臨時、派遣、委託など、様々な形の非常勤「司書」が図書館で働いている状況が当たり前で、23区は遅い方なのだろう(東京23区の図書館の問題については、『図書館雑誌』1999年5月号の特集:東京23区の図書館 ― その光と影 ― を参照のこと)。
 荒川区では中心館と地域館4館の5館で69名の職員体制だが、今年度から3年間で職員を22名削減して「非常勤職員」を33名配置するとの提案が示されている。その提案に際し、図書館分会で「非常勤」導入に対する「考え方」(以下要旨)を明らかにした。
 最初に「非常勤」職員についての基本的認識(A)を述べている。「「非常勤」職員は、恒常的でない仕事を担当」するが、「しかしながら、現行の「非常勤」職員は、恒常的に存在する仕事を担当」しているので、「いくつかの特定業務についての「短時間勤務職員」と、表現する方が適切である。」そのため「「雇い止め」はあってはならない。」「仕事の範囲が限定」されても「仕事の質や量」は常勤職員と変わらない。したがって、「常勤職員と「非常勤」職員との待遇の差があってはならない」。それであるならば「勤務経験」で得られる知識・経験の蓄積による能率と仕事の品質の向上を評価」し、「それに応じて昇給や賞与・手当等の支給が必要である」。
 次に図書館員についての基本的認識(B)を述べた。図書館業務は、法に示されているのは基本的考え方で、「サービス内容の重点の置き方や具体的な仕事の仕方等は」、「地域の状況に応じて(図書館が)主体的に設定する」。「図書館業務は対人サービスが主」で、「とくに資料の案内やレファレンス・サービス等では」、利用者一人ひとりによって提供するサービスは異なる。すべてのマニュアル化は無理な仕事である。そのため、図書館の対人サービスは、「図書館資料に関する知識」や「一定の学習の経験の蓄積が」ないと、「対応できない専門的な内容を含ん」でいる。「図書館は、生涯学習を支援する教育機関であり、図書館サービスを提供する職員は、教員や学芸員等と同様な一種の「教育職」」といえる。したがって、「図書館には、図書館資料に関する知識を持ち、対人サービス・学習支援に携わる資質を持った司書、データべース・サーチャー等の専門的職員を採用・配置することが必要」で、経験を蓄積のためには、「機械的な人事異動は避け」て、「経験を豊富にさせる」ためのジョブ・ローテーションを行うこと。「社会状況の変化や技術の進歩に対応した継続的な教育」を実施するべき。図書館は、「必要な図書館サービスを維持」するため、前述のような職員を「一定数を常に確保して置かなければならない」。
 そして、図書館における「非常勤」職員(短時間勤務職員)導入の基本的考え方(C)について触れる。図書館への「非常勤」職員の導入が納得できるのは「上記のA、Bの条件を満たしたうえで、サービス上、経営上の(短期・長期的な)効果を上げられる場合」である。だが、現状では、図書館で「サービスを中核的に担う司書等の専門的職員や業務に精通したベテラン職員が充分に確保されているとはいいがたい」。「これが長期的な戦略上、重要な課題」であり、「あえて、この時点で「非常勤」職員を導入するのであるならば、以下のような形のものにするべき」。「(1)当面(全館導入後、体制が落ち着くまで)は非専門的業務に限定すること。(2)窓口業務に「非常勤」職員が従事するためには、次に上げる条件を満たす必要があること。①業務に精通したベテランの司書有資格者等の専門知識を持った中核的職員を充分配置すること。②図書館における、資料案内やレファレンス・サービス等の専門的サービスの独立した窓口を明確にし、当該窓口に専門的職員を配置すること。③こうした職員に対し、常に研修を実施し、機械的な人事異動をせずに、質の高いサービスが安定的に供給できる体制を組むこと。(3)「非常勤」導入に当たっての図書館PTの報告では、「非常勤」の業務を庶務的業務を除いて、原則的に区別しないとしているが、業務の主たる責任は常勤職員にあることが原則である以上、「非常勤」職員と常勤職員がまったくの同一の業務ということはあり得ない。例えば、選書・広報・事業計画など、常勤職員が主体で「非常勤」職員には、あくまで協力していただく立場として位置づけるものであること」。「「非常勤」職員導入」は「常勤職員の業務軽減のため」ではない。「むしろ、新たな図書館サービスの展開のために導入する」ことを「職場全体で徹底すること」。「「非常勤」職員の導入は、前記のA、Bの条件を満たした場合で」、「すでに一定の「専門性」を前提」とする。「従って、これまで以上にすべての常勤職員の図書館員としての働きぶりが問われることを自覚すべき」。
 最後に、今後のことについて(D)述べている。「図書館サービスを発展させるための長期展望に立ち、「非常勤」職員導入を考えるならば、これまで以上に常勤職員の図書館員としての質が問われてくる。その質を一定レベルで維持・確保していくための体制づくりを、どう実現させていくか」。司書講習派遣や通信教育補助の打ち切りなど財政上の理由で、内部での養成に制約がある現在、「一定の人材を供給するためには」「広く外に求めることが早道かもしれない」。「図書館における専門的職員の一定の必要性は、先の「司書の職名廃止」のときの特別区区長会の見解でも示されている」。地方分権のもとで、「自治と民主主義の情報拠点としての図書館の意義は」大きく、「それを主体的に担う専門的な職員」はより以上求められている。「それを「非常勤」職員のみで対応させるという考えは持つべきではない」。「非常勤」職員導入という選択は、常勤職員の「専門性」を高めることも同時にすすめなければ、仕事を「非常勤」職員に押し付けるだけのことになりかねず、結局は職場の荒廃を招く。「非常勤」職員の導入は、専門職の必要性をより以上に明らかにしているものととらえるべきではないか。というものだ。
 この「考え方」には図書館サービスに熱心でない分会員の一部から反発もあるし、私個人としては、「非常勤」導入は「やむを得ない」というよりも、23区では住民サービスが向上すると考えるので、もっと積極的に導入し責任も与えるべきと思っており、この「考え方」では不満が残る。分会全体で充分納得するものとはいい難いが、現時点での到達点として、現場での問題のとらえ方のひとつとしてみていただきたい。

5. おわりに

 「非常勤」専門職の導入がすすむ東京23区。わが荒川区も例外ではない。本音のところは主として財政上の理由からの「安上がり労働」なのだろうが、図書館の対人サービスの「専門性」との関わりのなかで、「非常勤」専門職が導入されること自体はかならずしも否定すべき事ではないだろう。しかしながら、明確な図書館サービスの意義づけやあり方が示されずに、このままの状態ですすんでいくのであれば、将来住民にとってよい状況になるとは思えない。もっと私たちは図書館における「専門性」を問うべきなのだろう。現実が否応なしにすすんでいくなかで、図書館という職場での労働組合運動に取り組む私たちは、少しでもベターだと思う選択を続けるしかない。結果がどうなるかは私たちには見えていないけれども。