1. はじめに
えりも町は、北海道の東南端に位置し、弧状にのびる54㎞の海岸線にふちどられ、襟裳岬を代表とする全国屈指の景勝地を有する漁業と観光の町であります。
北海道の背骨といわれる日高山脈、その頂点である幌尻岳から南側は襟裳岬へと伸びて先端は60mの断崖。その先の岩礁は2㎞ほどで海へと沈み、さらに海面下を5~6㎞も続いています。岬から30~40㎞は大陸棚が続き、その南東沖約5㎞のところに絶好の漁場である海底の大地「襟裳堆」があります。「襟裳堆」では、千島海流(親潮)と日本海流(黒潮)の2つの潮が交わり、プランクトンが豊富なことから、多種にわたる暖流・寒流の魚たちが群れる世界有数の漁場となっています。
このような地域環境から、えりも町は松前藩の時代からコンブの採取場所等として有名で、明治になって移民が入ってきてからも漁業を主産業に生計を立てる人々の町として発展してきました。
2. 浜(漁民)を取り巻く環境は
前述のとおり、恵まれた漁場を有しているえりも町における経済活性化については、とりわけ水産業の発展が不可欠であると考えられます。
そんななか、国内200海里水域の水産資源の保護と増殖、その有効活用を図ることを基本原則として、1996年7月に200海里体制についての国連海洋法条約が発効されました。この200海里体制が定着した今日においては、国際的にも従来の競争的・資源収奪的漁場の利用ではなく、資源を有効活用した協調的共同管理型の漁業が求められています。
しかし、えりも町における水産業の現況を考えると資料1に見られるとおり、20年前と比べて漁業従事者数は年々減少し、総人口に占める漁業従事者数についても1980年の約48%から1998年には約35%と13ポイントあまりも激減しています。
資料1
これは、全町的な人口の減少も1つの要因と考えられますが、浜(漁民)を取り巻く環境の変化(国際漁場における日本漁業の再編成や水産資源の減少などによる漁業経営の悪化等)に起因する部分が多いと考えられます。
このような状況下で、安定的・継続的な漁業を確立するために、計画的な資源管理の活動を行政主導ではなく漁民や漁業協同組合の主体性を尊重して進めていく施策の検討がはじめられ、それらの1つとして「とる漁業から育てる漁業への転換」が挙げられました。
3. とる漁業から育てる漁業へ
えりも町における「とる漁業から育てる漁業への転換」の中核を担ったのは、まず、サケ・マスのふ化事業でした。
二十数年の実績をもつサケ・マスふ化事業は、えりも町の漁業を牽引してきたといっても過言ではないと考えられます。とりわけ、1975年に開設された北海道立水産ふ化場えりも支場を中心として、そのほかニつの漁業協同組合のふ化施設は、太平洋南部海域のサケ・マス資源増大の拠点として、きわめて大きな役割を果たしていると考えます。
資料2
資料2のとおり、サケ・マス定置網漁業での漁獲量は、極端な不漁となった1992年を除いてはふ化放流事業の充実により、高い水準での水揚高となっています。一方、その価格に着目してみますと、現状は、漁獲量や輸入サケ・マス量の変動に伴い価格の低落減少が起きており、経営基盤を揺るがす結果となりつつあり、自己防衛対策を強化しなければならない状況にあると考えられます。
そんななか、育てる漁業の1つとして年々減少するウニ資源を回復させ、漁業者の経営の安定を図ることを目的としてウニの種苗生産の試験事業がスタートし、1986年にウニ人工種苗施設が建設されました。
この施設によるウニの種苗生産の試験事業は、3年余りで順調に行われるようになりました。そこで、これらの成果を踏まえて、1990年には300万粒のウニの種苗が管理可能なウニ種苗生産施設を建設し、地元漁業者の期待を集めるなか、種苗の生産事業が本格的に行われるようになりました。
この事業は、天然の親ウニから採卵受精を行い、餌料である植物プランクトンを培養し水温、流量、投餌量を管理して幼生飼育します。その後、育成飼育されたウニの種苗は大きな直径7㎜程度で選定された適正な漁場に放流するというもので、親ウニの確保や放流してから漁獲されるまでの期間については、漁民の協力を得ながら事業が行われています。
4. 新たな可能性への挑戦
1992年には、サケ・昆布・ウニ等の増養殖事業は技術面も含めて軌道に乗りつつあることから、近年、資源が減少傾向にある底棲(ていそう)魚類のうち高値取引が期待できるハタハタ・カレイ類・クロソイ等の増養殖の可能性についての研究が始められ、この年はクロソイの標識放流を初めて行いました。
クロイソ図
1993年には、クロソイとマツカワの稚魚の中間育成を行い、搬入時3㎝程度だった稚魚を15㎝程度まで中間育成しすべての稚魚の全長と体重を測定し、標識をつけてからの放流を行いました。
また、この年は北海道では釧路に続いて2ヵ所目となるハタハタの人工受精にも取り組みました。12月初旬、町内の漁家が朝上げてきたばかりの網にかかっているハタハタを譲り受け、メスの親魚200尾、オス120尾を用意し、水を使わない「乾導法」と呼ばれる方法で受精が行われました。
翌年4月には120万粒あまりがふ化し、体長が40㎜ほどになる6月頃には半分ほどを放流しました。その他の稚魚は12月中旬(体長が70㎜程度)まで飼育して標識をつけて、いずれも漁民の協力を得て放流しました。
5. 今後の展望
1992年から毎年行われているクロソイ・マツカワの飼育放流試験事業について、ある程度の効果も徐々にではありますが見えてきています。特にマツカワについては、再捕率2.9%(51枚)でえりも町以外で放流されたと思われる人工魚86枚も再捕されており、その効果は非常に大きいと考えられます。えりも町以外での再捕は、クロソイが苫小牧沖から大樹町大津沖、マツカワが苫小牧沖から広島沖、ハタハタは広尾沖で確認されています。
根付き資源としてのハタハタ等のふ化から中間育成については、ある程度の飼育技術の向上が図られたと考えられますが、まだまだ生態や回遊経路などわからないことも数々あります。
しかし、現在進められている飼育放流試験事業が、えりも町の明日を担う漁業の土台となることは確実であると考えます。これからも、浜(漁民)とのコミュニケーションを十分に図り、漁業を発展させる若者の力が100%発揮できるように基盤整備を含め、漁村の生活環境を改善して資源管理型の漁業への転換をスムーズに行えるよう、行政が取り組んでいくべきだと考えます。 |