1. はじめに
横浜市は、1960年代から東京のベッドタウンとして開発が進み、当時1万ヘクタールあった樹林地は、この30年間でその約3分の1の3,000ヘクタールに減少した。
横浜市では、残された貴重な樹林地を保全するために、都市緑地保全法に基づき「緑地保全地区」として指定を進めるとともに、緑の環境をつくり育てる条例に基づき横浜市独自の制度として、「市民の森」や「ふれあいの樹林」、「緑地保存地区」の制度を創設し、2000年3月までに約1,300ヘクタールの樹林を保全している。本市では、このように樹林を面的(量的)に保全するための施策を進めると同時に、これら面的に確保した樹林を市民と行政との協働で「質的」に保全すべく、平成6年度より「森づくりボランティア育成事業」(以下「本事業」)に取り組んでいる。
本事業では、「手入れを必要としている樹林」と「樹林の保全・育成に関わりたい市民」の橋渡しをすることを目的としており、本レポートでは、横浜市緑区新治町にある新治市民の森(※)における保全管理を担う愛護会組織の結成までのプロセスを紹介する。
※市民の森とは、昭和46年度からスタートした横浜市の独自の制度で、概ね5ヘクタール以上のまとまりのある樹林を所有者との土地使用契約により指定する緑地である。緑地を保全するとともに、市民の憩いの場として利用を図ることを目的としている。平成11年度末までに24ヵ所452.4ヘクタールを指定している。 |
2. 新治市民の森において保全管理組織を立ち上げることになった背景
横浜の北側に位置する新治市民の森は、谷戸景観を残す市内有数の貴重な樹林地である。1997年から市民の森の指定を開始し、現在では計画面積80ヘクタールのうち約61ヘクタールを土地所有者との土地使用契約により指定している。
指定を進める中で、土地所有者(=農家)の多くから出た声は「市民の森の指定には応じても、自分たちの手では管理できない」というものだった。従来の市民の森では、土地所有者が管理組織である「市民の森愛護会」を結成し、市から管理を委託されている。新治では、土地所有者の高齢化などの理由により、従来の管理方法が採用できないことが明らかだった。
一方、周辺住民からは、「樹林の保全に関わりたい」という積極的な声が2~3年ほど前から市に寄せられていた。「草が伸び放題なので、刈ってもいいか」など、具体的な作業の申し出もあった。このような声が寄せられるにつれ、市では、市民も含めた新しい形の保全組織を作っていく必要性を感じた。
新治は、市民の森に指定をされる前から、生き物が多様であることや景観が優れていることなどから多くの市民の関心が集まり、時として保護したいという市民の強い声に対し、土地所有者の反感をかうこともあった。市民と土地所有者の間は決して良好なものではなく、「自分勝手なことを山でやっているから」と柵を作って市民が樹林に入ることを物理的に阻止した土地所有者さえいた。
そんな中、市は2年間かけて地域に入り、約70名の土地所有者と市民の森の土地使用契約を結んだ。次のステップとして、面的に確保した樹林を質的に保全するための方法が課題となった。新治に限らず、市内にある多くの樹林地は人の関わりが減ったことによって質的な荒廃が進んでいる。私たちは、市民と土地所有者の共働による樹林の再生モデルを新治市民の森で作ることを目的として、1999年4月頃から事業をスタートさせた。
3. 合意形成のツールとしての森づくり講座の提案
市は、それまでほとんど交流のなかった周辺に住む新住民と土地所有者の間に入り、双方が協力しながら樹林の保全に取り組めるよう、まず土地所有者に共働の必要性を提案することから始めた。
新治地区は、樹林の保全に対する市民の潜在的なニーズが非常に高いことを土地所有者に伝え、これら市民が樹林の保全の担い手になることを提案した。これに対し、土地所有者からは、「山がのっとられるのではないか」、「好き勝手にされるのではないか」、「ケガをした場合、責任を問われるのではないか」などかなり後ろ向きな反応が返ってきた。
土地所有者の市民に対する不信感を払拭し、双方顔の見える関係を作ることから始めなければならないことを痛感し、そのための仕組みを市内の森林保全団体や専門家と一緒に作った。それが「森づくり講座」(別表)である。この「森づくり講座」を通じて、参加する市民が新治という樹林をよく理解し、手入れの技術を習得することによって、土地所有者との間の信頼関係を作ることができると考えた。
このプランに対してもなお、土地所有者からは、「市民は飽きっぽいので、長続きしないのではないか」などの不安の声が上がったが、「市が責任をもって講座を行う。成果を見てから判断して欲しい」と説得し、1999年の夏から半年間の講座をスタートさせた。
4. 森づくり講座
講座には、定員を超える申し込みがあり、約60名の受講者が参加した。日常的に関わることのできる樹林であれば、都市住民はそれを生活の一部として捉えられ、活動の継続性が確保されると私たちは考えたので、広報の範囲を樹林の近いところに限定して行った。その結果、応募してきた多くの方々は新治市民の森の徒歩圏内に住んでおり、散策などを通じて日常的に樹林に関心を寄せていた。
講座では、樹林を保全する手法を学習することに加え、土地所有者と市民の融和を図るための「場」を作ることに力点を置いた。作業をする時も、土地所有者に声をかけて、草刈り機などの道具を持ってきてもらい、市民に直接使い方を指導してもらった。月に2回の作業を半年間行い、極力市民と土地所有者が一緒に汗を流すようにしたのである。また、土地所有者に市民の活動を認めてもらうために、作業地はできるだけ目立つ場所を選定した。
月に2回の作業はハードだったにも関わらず、参加者のほとんどが皆勤で、実に熱心に、そして楽しみながらこなした。この姿を見ていた土地所有者は、「市民もなかなかやるものだ」と評価するようになった。そして、講座の最終回には、「地主だけでは山を守り切れない。これからは市民と力をあわせて山を守っていこう」と土地所有者自らが発言したのである。
土地所有者が「山を守る大変さ」や「山を守ってきた思い」などを話したことによって、市民はその気持ちを理解し、意見を尊重するようになった。一方で、市民が「山に関わる楽しさ」や「山に関わる思い」を伝えたことによって、土地所有者はそれまで関心を向けていなかった自分の山を再評価し始めている。講座が始まってから、「40年ぶりに山に入った」という土地所有者もいた。
都市住民は山林の存在意義を評価し、それを多くの市民に広めることによって、土地所有者に対し「樹林を開発するのではなく、保全する」という別の選択肢を提案することができるのではないか。このような形で、緑の保全という自らのニーズを自らが担うことによって、都市住民は樹林を守る一端を担うことが期待されるのである。
5. 新治市民の森の保全管理組織ができるまで
森づくり講座の中盤にさしかかった頃、樹林の保全活動を担う愛護会の組織化に向けて、会の活動のルールや規約を作るためのコアメンバーを募集した。この募集に対し約20名の応募があり、この方々による運営委員会を11月頃に立ち上げた。と同時に、運営委員会の議論には加わらないが、一緒に樹林の保全活動に参加したい人を準備委員として募集し、約80名(運営委員を含む)が集まった。この方々には運営委員会での議論や経過を報告した。
運営委員会は月に2回、計4回行い、自分たちの活動のルールを定めるための愛護会の規約案、活動計画案、収支予算案、役員案を作った。毎回、夜19時に自治会館に集合し、農作業帰りの土地所有者と会社帰りの市民がそれぞれ自分たちの考えや思いをぶつけながら、一つひとつの案を作っていった。このプロセスにおいて、双方の新治の保全策に対する考え方の違いからかなり激しいやりとりもあったが、新治を大事に思う気持ちは共通だったので、何とか切り抜けられた。これができたのは、それまでの10回にわたる森づくり講座の協働作業があったからだと考えている。お互いの信頼関係ができていなければ、本音のやりとりは難しかっただろう。
運営委員会と並行して、準備委員によるフィールドワークを2回行い、トレイル(自然観察路)を作った。これは、「とても見晴らしのいい場所があり、ぜひ新治のもう1つのエントランスにしたい」という土地所有者からのリクエストがあった場所である。実際に景観的にも優れている場所だったので、みんなでササ刈り・水路掘り・整地・樹名板かけ・林床整理等を行った。このトレイルづくりは、土地所有者からの提案で、何もないところから市民と一緒に「目に見えるもの」を作ったという実感がもてる初めての作業だった。そういう点で、この作業はとても意味のあるもので、この作業を境に土地所有者と市民の間の溝がまた少し埋まった。このトレイルのお披露目は、開園式の日に愛護会の案内で行われた。
行政が、工事でトレイルを作ることは簡単なことである。土地所有者と市民の間を行政職員がコーディネートしながら一緒に手作りのトレイルを作るのはかなり大変なことだった。まず「どのようなルートで通すか」、「どのような素材を使うか」、「どの木を切るか」、「どの区域を誰が受け持つか」など決めなければならないことがたくさんある。でも、このプロセスを経た後の愛護会メンバーは、作業日以外に倒れている竹を片づけるなど、いつも樹林を気にかけている。新たなトレイルを作ろうというプランも開園後出てきている。
愛護会は、トレイルに加えもう一つ大きなものを作った。それは、新治に対するみんなの目標や思いを明文化した「新治憲章」(新治憲章参照)である。憲章の作成のために、愛護会メンバーは頻繁に会合を持ち、夜更けまで新治に対する各々の思い、イメージ、夢を出し合った。このプロセスを通じて、新治に関わる人たちが新治に対する考え方を共有化できた結果、憲章が生まれた。行政は、憲章づくりについて提案はしたが、合意形成には関わっておらず、純粋に市民と土地所有者だけで定めたものである。この憲章は、開園式で読み上げられ、みんなに承認された。新治に来る誰もが触れられるように、市は新治憲章を市民の森の案内パンフレットに印刷し、樹林内の看板にも載せた。
新治市民の森愛護会は、2000年2月11日に113名(7月現在で200名弱)の参加により発足した。36名の役員(約半数が土地所有者)を擁する、今までにない大きな市民の森愛護会が誕生したのである。
3月26日に市内で23番目の市民の森として、新治市民の森は開園した。
6. 行政、市民、土地所有者の役割
現在、新治には、「土地所有者=農家」、「新住民」、「行政」と大きく分けて3つの主体が関わっている。この三者が新治市民の森の中でそれぞれの役割を果たすことによって、その保全・育成・活用が可能になると考えられる。では、それぞれの主体の役割とは何か。
まず行政の役割についてだが、他の2つの主体である「土地所有者」と「新住民」をつなげる場を初期の段階で作ることではないかと考えている。行政はあくまでも黒子であり、他の主体がそれぞれの役割をうまく果たせるようにコーディネートをすることに徹するべきだと考えている。そのために、行政はまず地域に入り、市民ニーズを吸い上げながら人材を発掘し、地域の魅力を掘り起こす。そのための情報の収集・発信能力が問われ、いかに地域に密着しているかが鍵となる。
一方、「土地所有者」に求められるのは、山を開発せず保全するという選択をすることに加え、今まで地域が守ってきた伝統技術を市民に継承(炭焼きなど)することや地域のルールを伝えることだと考えている。
「市民」(=新住民)は、「土地所有者」とともに地域を再生する担い手・主体であるため、その樹林の将来像を描き、目標に向けて行動することが求められる。例えば、その樹林の価値を再評価し、それを広め、現代に合った新たな活用策を創造することである。新治では、樹林の従来の使われ方に止まらず、例えば環境教育や芸術活動など新たな活用策を見出すことも市民の役割だと考えている。
「土地所有者」も「市民」もそれぞれがたくさんの期待や夢を新治に持っている。ここで、地域の様々なニーズをつなげるコーディネーターが必要となる。ここでいうコーディネーターとは、地域に密着して、人材を発掘し、人材どうしをつなげ、人材と素材を結ぶ役割を担う。行政に求められる役割とはこのコーディネーター役ではないだろうか。
7. 最後に
新治に関わる時、植生の回復など生物の多様性を豊かにすることを第一の目標にはせず、いかに多様な人たちが樹林に関わることができるかということに重きをおいた。今まで交流のなかった同じ地域に住む人たちが、樹林の保全・活用という共通の目的でつながれば、結果的に市民の森は生態系的にも再生できると感じたからだ。
樹林地ばかりでなく、農地の保全策も必要となっている。新治地区には畑と田んぼがあり、農業が営まれているが、農家の高齢化が問題になっている。この地域の農家も後継者がほとんどいないが、農的な景観は新治の個性であり、欠かせない。農地と樹林地がセットにあってこそ、生態的にも景観的にもその価値があるため、農家と市民の連携による、農的空間を維持する仕組みが新治地区には必要である。
田んぼづくりに周辺の小学校などを巻き込めば、自然との間に距離ができてしまった現代っ子たちに環境教育の場を提供することもできる。子どもたちが身近な自然に目を向ける機会になるとともに大人と一緒に作業を共有でき、農家の方々との交流の場にもなる。現に、子供会のお母さんたちは、新治市民の森を歩き、子どもたちが森のためにできることを検討しているという話も聞いた。
新治市民の森が開園して、休日になると1日500人以上の人たちが森林浴を楽しんでいる。農家の方からこのような話を聞いた。農作業をしている時に、来園者から「いい山ですね」、「今日、フジの花が咲いていてきれいでしたよ」などとしばしば声をかけられるそうだ。
都市に住む市民が樹林を評価することによって農家の人たちは今まで気づかなかった価値を見出しつつある。自分たちの山に誇りを持ち、開発せずに保全して良かったと思える存在になるのもそう遠い将来ではないだろう。
これまでも緑政支部では、農と緑を守る取り組みをしてきた。今後とも、業務に止まらず、自治研活動の中で農と樹林地を一体的に保全する取り組みを進め、都市域の農的空間・里山空間の確保につなげていきたい。
新治市民の森を歩こうマップ |