1. 住民参加による総合振興計画づくりの始まり
鹿児島県の川辺町で行われた住民参加による総合振興計画づくりについて述べておこう。
川辺町の住民参加による総合振興計画の作り直しのきっかけは、97年1月の町長選挙による町長の交代によるものであった。前町長に対して、新町長が住民参加による総合振興計画の策定を選挙公約としてかかげて当選し、約1年間をかけて住民参加による総合振興計画を町民とともに作り上げていくことになる。
選挙では元校長をしていた教育委員会出身の現職は、自分が中心となってつくった現在進行中の第2次総合振興計画の実現を前面にだして、町政の継続を強調したが落選する。
新人の町長候補は、現町長に不満をもつ町民に押されて出馬し、徹底した現職批判と21世紀の長期ビジョンを町民とともにつくることを選挙公約して当選する。「町政が町民と向き合わず背中を向けていた。だから地域が低迷した。町政は町民のためであるとの基本理念で、新しい町政を進める」(南日本新聞97年1月20日、新町長の横顔)。
新町長の誕生によって、前町長時代につくった第2次総合振興計画後期基本計画が1年しか経過していないのに、見直しを行うこととなった。それも従前の地域基本計画のつくり方と全く異なる方法による振興計画づくりであった。従前も地域住民参加という方法を強調していたが、それは、自治公民館制度に依存する地域懇談会によるものと町行政により選ばれた人だけが参加する方式であった。
町長就任の施政方針では、川辺町の財政再建を平成9年度から実施するということとあらたな長期ビジョンを町民の意見を聞きながらつくることが表明された。川辺町の自由公募による住民参加の総合振興計画は、新町長が前町長の政策を徹底批判して選挙に当選した結果として、大きな町政転換のなかで生まれたものである。
2. 住民参加の方法
住民参加の地域振興計画策定過程において、川辺町は、従前の自治公民館・区・小組合に依存する住民参加ではなく、その自治公民館の24の区域とは全く別の自然的・交通的・広域的な条件にあわせて4地域を設定して、住民のボランティアを積極的に活用しての地域総合計画を作成している。その中心母体になったのが住民の自由意志から参加に応じたまちづくり委員会である。
4つの区域は、従前の行政区域に比べると非常に広い範囲で設定している。このことが、地域エゴの代表者ではなく、川辺町の将来を大局的に考える自発的意志による自由なる住民参加方式のまちづくりを可能にしたといえる。逆に、自治公民館・校区・小組合は計画策定や実施に於いてむしろ大きな障害になると考えられ、農村型の地縁組織に依存しないで、自由な公募によることが川辺町まちづくり委員会の特徴である。これまで川辺町には、25の地域に自治公民館と110の小組合が組織され、従前まではこの地縁組織が行政の施策を浸透したり、税金などの公祖・公課の徴収機能として大きな役割をはたしているのである。川辺町の住民参加の総合計画は、これまでの農村型の地縁組織から離れ自由な市民型の自発的意思に基づく計画であり、農村の新たな動きとして捉えることができる。
3. 住民参加の特徴と本質
川辺町の総合振興計画は、住民からのボランティア参加を中心とするまちづくり委員を主体に住民参加による地域総合計画の基本構想をつくったところに特色がある。ご存じのとおり住民参加は、すでに行政と市民との関係において、行政施策の前提となりつつある。特に市町村総合振興計画策定における住民参加は不可欠であり、「住民参加」の本質そのものが問われているのである。住民参加の本質とは、形式的な住民参加でなく、現実に実行性のある行政施策につなげるシステムが用意されているのか、地域の事情を考慮した有効な手段となっているのか、住民が参加しやすいものであるのか等ということである。
川辺町は、農業と仏壇づくりのまちで伝統的な地縁組織に依存した自治公民館・区・小組合による影響の強い地域である。しかし、それに依存しないで、町民の自発的意志を尊重する公募によるボランティアでの住民参加という形態をとったことが、川辺町の特徴である。
川辺町のまちづくり委員会は、97年の5月30日の発足から翌年の2月まで4つの地域に分かれて地域別まちづくり委員会が開かれている。表4にあるとおり参加総数は824人、毎月の検討会を各地域で開催し、人口比率から見ると同規模の自治体と比べても特出する参加率である。
それと全く別に庁舎内の役場職員で構成される各専門のプロジェクト委員により各種団体、各種業界、誘致企業のインタビューも実施された。
専門部会ごとのインタビューやアンケート先は、産業専門部会の場合、仏壇組合、商工会、共済組合、広瀬川漁協、観光協会、森林組合、建設業界、農協、環境専門部会の場合、環境に関する各種機関、各団体10ヵ所へのインタビューが行われた。福祉・保健専門部会、町内の6病院、5ヵ所の保育所、4ヵ所の私立幼稚園、老人クラブにインタビューを実施した。教育専門部会の場合、6小学校、中学校、各PTA会長、川辺高校等を対象にアンケートを行った。
また、97年8月に高校生、大学生へのアンケートと町内全世帯を対象にしたアンケートを実施している。前者の回答数は271件、後者の回答数は、3,605世帯で回収率60.5%であった。
このアンケートもコンサルに頼らずに企画財政課独自の作成・回収と内容把握になっている。
また、小学生・中学生には、町の将来像を描いた絵による参加を促し、総合振興計画の挿絵として活用されている。
農業については、独自に農業によるまちづくりフォーラム開催し、農林省大臣官房室の計画官を招いて講話と意見交換を行っている。農林省の計画官からは、総合的施策ではなく、目玉を作って集中的に取り組むことの意義を強調されたが、川辺町の参加者からは、都会の論理がまかりとおっていることへの懸念が表明された。そして、東京や鹿児島市を目標とするのではなく、田舎らしさを残すことが財産となるという意見がだされた(平成9年6月11日南日本新聞)。
総合振興計画の作成過程は、まちづくり委員の公募から委員会の発足、プロジェクト委員会の辞令交付など組織体制の整備から現況を把握する第1段階、総合振興計画を地域別、専門別に探り提言した第2段階、各地域振興政策及び部門別振興策と行政サイド振興策との整合性のすりあわせによる基本構想づくりの第3段階、基本構想に基づく具体的地域振興計画と部門別振興計画づくりの第4段階と4つのステップがあった。4地域別のボランティア住民のまちづくり委員会が精力的に意見・要求をまとめて地域振興提言書を作成して町の総合振興計画策定に影響を与えたのが大きな特徴である。
この川辺町の住民参加による総合振興計画は、町議会によって可決され、98年度から正式の振興計画としてスタートしている。この計画を実施させていくうえで、赤字財政の問題に対処しながら、住民参加による総合振興計画の具体化のために、行政と住民、住民と住民、議会と住民の関係をどのように構築していくかなど問題も数多くある。したがって、この住民参加の振興計画の具体化には、従前の行政施策からの新しい転換と緻密な施策が必要である。だが、川辺町の住民参加による総合振興計画づくりが、その策定過程において多くの課題を示し、住民・行政・議会との関係に一石を投じたことは評価に値するといえよう。
4. ボランティア方式のまちづくり委員の内訳
まちづくり委員の応募は、1997年5月14日発行の南日本新聞と5月1日付け町の広報紙により募集を開始した。町内の住民に限らない公募によるボランティア方式で、一般住民42名の応募があった。その応募者全員に委員会に参加してもらうこととし、それに4地域から2名の地域専門委員、5つの部会から2名ずつの10名の部会専門委員、総合部会3名、行政内の職員ボランティア参加者であるプロジェクト委員33名を加えた合計96名による町づくり委員会は正式に97年5月30日に発足している。
その後の追加参加者を含めてボランティアとして応募した一般住民54名の居住地域は、北西部地域6名、北東部地域6名、中央部地域27名、南部地域4名、町外11名となっている。
また、ボランティア参加者の職業及び男女比は、農業8人、会社員19人、店主7人、教師3人、県職2人、無職10人、主婦5人で男性45人、女性9人となっている。
図(1)に示すように、まちづくり委員会は、最終的に104名に増加しているが、地域を自然的地理条件で4つに区分けしたため、従前の校区や自治公民館から人数を配分することなく、委員が出ている。とくに、川辺町出身者で現在は町外に居住する人々も積極的にボランティアとして委員になっている。
まちづくり委員のボランティア参加者で大きな役割を果たしたのは、(1990年)から町民の若い層を対象にして行った地域づくりのための人材養成塾ぼっけもん塾の塾生である。この意味でまちづくりボランティアの大きな源泉のひとつになっているのはぼっけもん塾の組織であるといえるだろう。
専門部は、産業、環境、福祉・保険、教育・文化、計画推進の5部会である。まちづくり地域専門委員も30代後半から40代の層が担っており、行政職員の33名を含めて43名の委員会となっている。まちづくりの専門部会も行政や教育との関係を除いて、20代から40代の層によって、構成されている。まちづくり専門部会の専門委員のなかに、鹿児島市出身の川辺町在住者を選んでいる。
5. 町外者をまちづくり委員に任命した評価
通常、地方公共団体の計画書づくりに町外者が入ることはごく一部であり、それなりの規制が行政からかせられるものである。
ところが、川辺町では町外者と町内者の区別なくまちづくり委員として位置づけている。その存在が川辺町を町外の目から見ていこうとする広域性の確保と町内者の参加意欲を高めるために大いに役立っている。このことは実際に町内で生活し、労働し、町民税を払って、自治体から日常的に直接的に公共サービスを受ける町民の公共の福祉向上という川辺町民の住民権を基本的に軽視することを意味しない。町民は町外者の意見に非常に興味を持ちながら、地域に住んでいるというスタンスを容易に崩さないでいる。しかし、少なくとも遠くから参加していることに一目置いており、住民の参加意識の刺激になったことは事実である。
住民参加の総合振興計画づくりということで、住民を出身者や町に興味を持つ人にまで広げることは、その自治体に居住する住民とすることと解釈を異にするものである。地方自治法第10条もまた、住民を「その属する普通地方公共団体の役務の提供を等しく受ける権利を有し、その負担を分担する義務を負う」としており、必ずしもその市町村に居住する住民とは規定していないのである。
住民参加は、地方自治体の政策決定過程に住民の意見・要求を直接反映させていくという直接民主主義的な内容を有する。戦後民主主義の地方自治の原則からは、住民の権利を尊重するために住民参加を設けており、これは行政施策上の住民動員とは勿論異なるものである。
住民の権利に根ざす参加民主主義という基本原則を踏まえたうえで、町外者の意見を積極的に取り入れていく姿勢は、川辺町のよさ、問題点をより客観的にみていくうえで重要なことである。町外者のまちづくり委員は、神奈川県鎌倉市や埼玉県大宮市、鹿児島市、知覧市、金峰町、加世田町、指宿市から公募に応じている。
6. 条例上の総合振興計画審議会とまちづくり委員会との関係
川辺町の総合振興計画策定のため川辺町は「川辺町総合振興計画審議会」を条例に基づき、町長が任命する委員20名によって構成されている。
審議会を構成する各種団体は町内に存在する各層、各職種の団体を網羅したものであり、同時にそれぞれの年齢層、女性層、各種の経済団体、社会的な地域組織の意見や要求を網羅しているものでもある。
条例の上では審議会は「町長の諮問に応じて総合振興計画の査定及びその実施に関し、必要な調査及び審議を行う」となっているが、川辺町総合振興計画の策定では、前記の図(1)にみられるように、審議会が中心ではなく、住民のボランティアなどによるまちづくり委員会が実質的に総合振興計画の原案をつくり、その原案を審議会に諮問・答申して、議会に提出するという方法をとっている。その結果、審議会は1日で終わっている。
各層、各種の地域団体から網羅主義的に意見・要求を出し合って総合振興計画の問題を深めていく方法ではなく、実質的に町長の諮問に応じて機敏に機能していくまちづくり委員会の方法をとったのである。
7. 住民参加の今後
川辺町の住民参加の総合振興計画づくりは、はじまったばかりである。模索・試行の積み重ねが今後ともくりかえされていくことであろう。問題は川辺町が町民に開かれた参加民主主義を保障し、国の通達・補助金、許認可・行政指導等から地域住民の公共の福祉を守れるのか、そのためには、地域生活権の理念をしっかり見据えて、自立した、町民のための自治体として成り立っていくことができるのかということである。
住民参加による自立した政策・計画は、模索・試行の過程を含め、住民の自治能力がいかに形成されていくのか。市民に開かれた手続きによってこの模索・試行を積み重ねていけば、住民、職員、町議員のなかから人材が育ち、また様々な住民の参加の蓄積が進むことにより、政策・計画の立案・執行への習熟が可能となるだろう。
こうした人材の育成と住民参加の習熟によって、はじめて自立した住民自治に基づく地域団体が育ち、地方自治体の事業等を地域住民の意見と協力によって、より身近なものとして地域事業を実施できるような地域公共団体(非営利団体NPOなど)も生み出されることになるだろう。
この地域公共団体は、同一の目的で組織された既存のNPOとは異なり、自由な地域型NPOとして組織されるものであり、現在の自治体を支えつつ、さらに自治を強化していく地域自治組織である。このような地域NPOが育つためには、行政・議会・住民の理解が必要不可欠である。本格的な住民自治の幕開けとなるには、事業の完成度のみを問う中央行政的な判断から、地方で行う事業の成果は善かれ悪かれその地域に住む住民に帰属するものであるという地方優先的な判断への価値観の転換が伴わなければならない。
表1 年齢別人口、表2 産業大分類別事業所数及び従業者数、表3 販売農家の収入別農家数
第3次 川辺町総合振興計画策定フロー
|