被爆体験は《記憶》から《歴史》へ 核廃絶運動の次世代継承が課題【広島大会参加者インタビュー】

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被爆体験は《記憶》から《歴史》へ 核廃絶運動の次世代継承が課題【広島大会参加者インタビュー】

2024/08/27

被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会が8月4~6日、2200人の参加で開かれた。被爆者の平均年齢は85歳を超え、被爆体験を語れる人が減る現状の中、「被爆の実相」を原点とした核廃絶運動の次世代継承が課題となっている。

 1945年8月6日・広島と9日・長崎への原爆投下、1954年3月1日のマーシャル諸島ビキニ環礁での核実験による遠洋マグロ延縄漁船・第5福竜丸の被爆を出発点とする原水爆禁止運動。
 毎年8月に開かれる広島と長崎の大会には、多くの「平和運動の初参加者」が来場する。被爆者の高齢化が進み、運動の次世代への継承が課題となる中、若い世代の参加者の声を、広島現地で取材した。

初めてのヒロシマ  何度目かのヒロシマ

 大阪市職から参加した2人は、平和運動への参加は初めて。近年、「ベテラン」の参加者が目立つ平和集会だが、最初は誰もが初めてだった。(以下、『何もかもが初めて ヒロシマで平和学ぶ』にてインタビュー掲載)

 広島県・自治労はつかいちユニオンの3人は、それぞれ初めて、2回目、4回目の参加。さすが地元と思いきや、「8月6日は平和記念式典のイメージが強い。運動の認知度は低いかも」と言う。原水禁運動の存在感が低下しているのが現実だ。だが、「何回参加しても、原水禁大会には新たな気づきがある」と話す。(以下、『来るたびごとに新たな《発見》があるヒロシマ』にてインタビュー掲載)  
 その「価値」を、新たな参加者の拡大にどうつなげていくのかが、運動継承に向けたカギと言えそうだ。

参加者インタビュー

『何もかもが初めて ヒロシマで平和学ぶ』

◆大阪市職の加藤龍太さん、大島寛平さんインタビュー◆

 大阪市建設局で、大島は下水道全体の計画、加藤は下水道(管路)の設計を行っています。今回は支部の先輩に声をかけられて参加しました。「戦争と平和について感じてこい」と送り出されました。
 平和運動のイメージですか?労働組合が、平和運動をしているということを知りませんでした。今回、広島に来るのも、平和運動に参加するのも初めての経験です。また、デモ行進も初めてで、車道を歩くことに驚きました。
 祖父母に戦争体験談として、防空壕に逃げた話を聞いたことはありますが、同居していないので詳しくは分からないです。ほかには修学旅行で沖縄戦の話を聞いたくらいです。
 明日はフィールドワークで大久野島に行きます。日本軍の毒ガス製造施設があったところです。広島で、戦争について、平和について、多くを学びたいと思います。


『来るたびごとに新たな《発見》があるヒロシマ』

 自治労はつかいちユニオンの3人。柿本美南さん(写真中央)は原水禁大会の参加は初めて。瀬古孝徳さん(左)は2回目、高木智子さんはユニオンの書記長で、4回目の参加だ。初心者向けの分科会に来た。
 「原爆に対して被害の意識が強かった。でも講演を聞いて、日本の外国への戦争があり原爆投下に至ったことに気づかされた」(柿本さん)。
 「憎しみは平和を生まない。相手の立場を理解することが大切と、講師が述べた。これは普段から私たちができることだ」(瀬古さん)。
 「原水禁は4回目の参加です。被爆者の体験談には聞くたびに新たな発見があります」(高木さん)。


戦後・被爆80周年 節目の年に《初心者大歓迎》

 来年は戦後・被爆80周年の節目の年。「自治労原爆被爆者連絡協議会」は来年8月の広島で講演会を開く。プログラムは「被爆体験伝承者」の伝承講話、若い世代の運動の担い手のトークなどで構成する予定だ。若い世代の参加を促し、被爆体験の継承、核廃絶運動の前進を図る。
 自治労で平和運動を担当する小林郁子連帯局長は、力を込めて、こう言う。


 「原爆で亡くなった人には名前があり、愛する家族がいて、夢や希望もあった。失われた命の尊さを思い、核のない平和な世界をつくるために、一人ひとりができることを考えよう。広島・長崎を初めて訪れる若い世代に、ぜひ参加して欲しい」

(機関紙じちろう2024年9月1日号より転載)

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